意見

【ひとりごと】他人の言葉に違和感を覚えたときの原因を探る

こんにちは、しもんです!

人間はそもそもみんな違うので100%合う人なんていないわけですが、
合わなすぎたときって嫌悪感を感じてしまいますよね。

 

相手に嫌悪感を感じる前にはちょっとした違和感があると思うのですが、私はその違和感を大切にしています。

なぜなら、感じた違和感について考えることで、
『自分とはこういうものだ』というアイデンティティーを改めて確認できるからです。

 

「考え方」や「行動」に関する違和感はわりと大きいものでみなさんもよく感じると思うのですが、今日は「言葉」の違和感について考えてみます。

他人の言葉に違和感を覚えたときの原因を探る

先に結論から言うと、
私は「言語の統一感」がない言葉や、気持ちがこもっていない言葉にすごい違和感を感じる。

きっと違和感の正体はここにある。

例えば、

日本人が亡くなったときの日本人による「R.I.P.」⇦「お前英語喋れないだろ。日本語使えよ。英語で気持ち表せないだろ。しかも亡くなったの日本人だぞ。」ってなる

日本語の文章なのに最後の日付だけ「日/月/年」にしてる。⇦「日本語の文章だったら年/月/日だろ。なに日付だけ世界基準(イギリス式)にしてんだよ。海外かぶれか。日付だけ海外アピールすんな。」ってなる。

気持ちのこもっていない「ありがとう」を多発する。⇦後述

日本人によるR.I.P.

「R.I.P.論争」は数年前にめっちゃバズってた記憶がある。

100歩譲って英語が全く喋れない日本人が使ってるとしても、海外の人が亡くなったときであれば良いと思うんだけど、

英語が母国語じゃない人間が “Rest in Peace” と言ったところで(しかもそれの省略形を使ってしまったときに)、気持ちが込められていないように見えるリスクは分かってないといけない。

 

普通に「安らかにお眠りください」って言った方が何倍も伝わる。

英語もろくに喋れない日本人が、亡くなった日本人に対して言ってるんだから、普通に日本語で言った方が気持ちを表現できる。

SNSの投稿だって、英語が喋れない日本人がR.I.P.を使う意味なんて「なんとなくかっこいいから。」くらいしか理由がないのだ。

亡くなった人が海外の人だったとして、相手の文化を大切にしたいとしても、英語を喋れない日本人が「R.I.P.」という “気持ちの入らない言葉” を使ったら弔いは表現されない。

少なくとも私はそう感じる。

きっと「R.I.P.」なんて言葉を使う人はそもそも悲しくもなんともないのだ。

形式上言ってるだけ。

気持ちがない言葉なんて使わない方がマシだ。
黙っていた方が弔いが表現されるように思える。

日 / 月 / 年

海外に住んでいたら、確かに「日/月/年」(今日だったら「28.4.2021」)の順番が当たり前になるのはわかる。

私もそうだったから。

でも、あなたが書いている文章は英語じゃなくて日本語だよ?
日本語の文章を書いてるなら最後につけるのは「年月日」の順番が一般的です。

日本語の文章に「日月年」で日付を書いたら明らかに読みづらい。

相手に対する配慮がない。日本語で書いてある文章なのだから、読む対象は日本人だ。
だったら日本人の書き方に合わせた方が読みやすい。
その方が相手に対して親切。

 

日月年の順番でどうしても書きたいなら、文章も英語とか他の国の言葉で書けばいい。

日本語の文章に「日月年」の順番で日付を書く人は、自分の”海外アピール”が大きすぎて読む人に対する親切心が足りないと思う。

「ありがとう」の多発

以前、Clubhouseが流行っていたときとある有名な人の部屋で「Twitterのフォロワーを伸ばしたい人向けの添削」のようなものをやっていたんですね。

部屋を立てた本人の「ありがとうございます!」は気持ちがこもっていたのですが、ちょっと使いすぎてて「ありがとう」の言葉の効力がなくなって逆に害になっているように感じたのと、

Twitterの添削をしてもらっている人が全く心のこもってない(ただの合いの手のような)「ありがとーございまぁーっす(棒読み)」を連発していて、かなり気持ち悪かったんです。

そもそも「ありがとう」という単語には最初から感情があるのに、使う人間が感情なく使ってしまったらその言葉は害になる。

 

巷では、まったく気持ちがなくても「ありがとう」という言葉を使うことで感謝の気持ちが出てくると言われていて、確かに脳が「ありがとう」に反応してプラスの感覚になってくるのはわかる。

でも、会話しているときに無駄な「ありがとう」を無感情で連発したらめっちゃ印象が悪くなります。

ありがとうの押し売りは気持ち悪い。

言語の統一感の無さと、感情のない感情言葉

求めるのが「文章の統一感」だとしたら、きっと統一感を出すことにはとても時間がかかるし難しい。

私のこの文章だって統一感を指摘しようと思ったらいくらでもできると思う。

でも、「言語の統一感」は簡単に見つけられるしすぐに直せる。

日本人が書く日本語の文章に他の言語の何かが入ってきたらやっぱり違和感を感じるんですよね。

言葉は変遷していくものだから、これから先「R.I.P.」も「日/月/年」も標準になっていく可能性はあるけど、今の時点ではものすごい違和感を感じるのだ。個人的に。

「かっこつけてる感」がとてつもなくダサいし、相手に読んでもらうための文章として親切心が足りない。

英語を喋れない日本人が「R.I.P.」という省略言葉に気持ちを込められるわけがないんだから、素直に「安らかにお眠りください」とかを使っとけ、と思う。

 

やっぱり読む相手がいる場合、“言語による統一感” はある程度必要だと個人的には思うのです。

 

そして、会話をするときに感情に関する言葉を使うなら心からその感情がこもっていないと逆効果になるし、簡単な言葉だからといって使いすぎたらシンプルにうざい。

 

…と私は感じる。