ブログやTwitterをやり始めてから特に、
と感じているのですが、
個人の主観的な意見なのに攻撃的に「普通は◯◯」とか「そんなのできて当たり前」とか言ってしまうことってありませんか?
そんな言葉選びをしていたら人間関係をうまく築けません。
細やかな言葉選び
私は主観的な意見の時は「私は◯◯と思う」と言うようにしているし、
客観的な(統計学的な)事実を述べる場合は「一般的には」とか「統計学的には」を使うようにしています。
以前は口癖で、
「普通は◯◯〜」と言ってしまうことが多かったのですが、「普通は」→「一般的には」と言い換えるようにしてから自分の意見についてもより客観的に考えることができるようになった。
相手にどう伝わるかにも関わってくるので、できるだけ細やかな言葉選びをしていきたい。
— 佐野 主聞 , (@Shimon_Sano) 2019年8月19日
こうやって言い換えていると、
自分の意見に関しても「本当に正しい情報から考えられた意見か」「その意見に根拠はあるのか」ということを以前よりも考えるようになりました。
そもそも「普通」の定義は人それぞれ違いますよね。
自分の「普通」は他人の「普通」ではない。
これは意識しておきたい。
相手を下にみて意見を言っていると確実にバレる
言葉遣いや言葉選び、
また直接喋るとしたら抑揚や目線、仕草からも
相手に敬意を払っているか見下しているかなどがわかりますよね。
本当に面白いもので、文章だけのやり取りでも
と思うことがあります。
相手を下にみて意見を押し付けようとしてくるのが文章でも伝わってくるんです。
ブログやTwitterなど、その人のフィールドで言ってることならスルーするだけなので問題ないのですが、
私の投稿に対するコメントやメッセンジャーなど、私のフィールドで1対1のやり取りをする時に意見を押し付けてくる人とは距離をおきます。
議論したがる人がやりがちなミス
「議論をする」というのは相手に敬意を払いつつ意見を交わすことです。
誰かの投稿に対して反対意見をコメントする人がよくやりがちなミスとして、
✔︎ 怒りが強すぎて言葉遣いが攻撃的なコメント
✔︎ 相手を見下して皮肉を交えたコメント
これで議論が成立するでしょうか?
そもそも、白黒つけられないことも多い
私の場合、誰かの投稿に対して「自分はこう思う(反対意見)」というコメントを書くことはほとんどなくなりました。
Twitterを真剣にやり始めた頃と今とでは違うことがある。
それは、
「会ったこともない相手のフィールド(相手の投稿のコメント欄)で議論しない」ということ。なぜかというと、
結果的に非生産的で消耗することが多いのと、
Twitterだと相手に敬意を払えない人が多すぎるから。— 佐野 主聞 , (@Shimon_Sano) 2019年8月21日
Twitterを真剣にやり始めた頃と今とでは違うことがある。
それは、
「会ったこともない相手のフィールド(相手の投稿のコメント欄)で議論しない」ということ。
なぜかというと、
結果的に非生産的で消耗することが多いのと、
Twitterだと相手に敬意を払えない人が多すぎるから。
自分の意見を表明したいなら、
相手のフィールドで議論せずに自分の投稿やブログ記事で自分のコンテンツとして発信した方が良いし、
議論したがる人たちって
確証バイアスにかかってて、都合の良いところだけをみて都合の悪いところは無視する傾向が強いので議論にならないことの方が圧倒的に多い。
Twitterに書いた通りなのですが、
・時間と労力が勿体無い
コメントする時間と労力があったら他のことに使った方が生産的だし、
意見を交換することよりも相手に勝つことを考える人の方が多いので議論自体が非生産的になることが多い。
意見というのは時と場合によって考え方が変わることもあるものなのに、
議論している内に自分の考え方を正しいとするために確証バイアスにかかってしまって自分の都合の良いものばかりを探して、都合の悪いものは無視しようとする心理的な傾向になってしまい、
結果的に相手を無意味に不快にさせることが多いんですよね。
Twitterで議論好きなAさん(仮名)は、知らない人たちにコメントで噛み付きすぎてほとんど誰からも相手にされなくなっています。
解決策:意見を言いたいなら自分のコンテンツとして発信する
これが今のところ選択肢の中ではベターだと思っています。
そして、もしコメントで反対意見を言ってくる人がいたとしたら、その人が議論する土俵に乗っているか確認してコメントを返すか返さないか決めます。
議論する土俵に乗っていない場合(怒りや心理的な見下しが文章に現れている場合)はスルーしてミュートです。
そして、相手のフィールドで議論するのではなく自分のコンテンツとして発信することでそれはあなたの資産になります。