こんにちは、しもんです!
先日こういうツイートをしました。
ストーリー性を狙うだけだとクラシックが崩れていく可能性があるし、そもそもストーリーって自然にできていくものなので狙う必要がないとは思ってる。
でも、ストーリーで売れている演奏家を否定せずに、取り入れられる部分は取り入れていくことが必要だと思う。
これは難しいけどね。
(2/2)— 佐野 主聞 / ピアニスト×ブログ×YouTube (@Shimon_Sano) October 6, 2020
クラシックの演奏家の方には是非とも考えてほしいのが、
・その演奏家のストーリー性と演奏のバランス
です。
『ストーリーがある人間や演奏に感動する』という人間の心理は変えることができないため、それを受け入れつつクラシックの演奏家としての在り方を考える必要があると思う。
ストーリー性を狙うだけだとクラシックが崩れていく可能性があるし、そもそもストーリーって自然にできていくものなので狙う必要がないとは思ってる。
でも、ストーリーで売れている演奏家を否定せずに、取り入れられる部分は取り入れていくことが必要だと思う。
これは難しいけどね。
演奏家のストーリーとクラシック音楽
ピアニストの歩んできたストーリーや、弾く曲にまつわる感動する出来事などを知っていると余計に感動するってことは誰しもありますよね。
これって音楽家として世の中の人たちに受け入れられるためにはある程度必要な要素だと個人的には思っています。
クラシック業界の人がストーリーを軽視(軽蔑)する理由
クラシック業界の人は、「演奏者のストーリー」の部分を軽視しがちです。
なぜ軽視してしまうかと言うと、ストーリーが入ってくることで演奏の表現が作曲家メインではなく演奏者メインになってしまうからです。
これはマジで由々しき事態なんですよね。
だからクラシックの人たちってあまり発信活動もやりたがらないのかもしれない。
自分がメインになってしまうのを恐れているために。
ネットの時代においてはもうストーリーを軽視できない
でも、音楽業界全体をみるとストーリー性のある人たちが売れているのは事実なわけです。
クラシックをガチで聴く人が少なくなっているのはクラシックの人たちが全然営業をしていないことも理由なんですが、クラシック以外のジャンル(雑なジャンル分けでごめんなさい)がとてもわかりやすくてストーリー性も発生しやすいために人が流れていっているという理由も大きいと思います。
特にネットのおかげで個人のストーリーがフォーカスされるようになった。
これを無視することはもう不可能だと思います。
もう一度言いますが、
世の中の人たちは「クラシック聴くくらいならこの人の演奏聴こう」と思って違うジャンルの演奏に価値を感じている人が多いのです。
だったらクラシックの人も衰退させないために(ちゃんとお金を稼ぐために)、多少自分自身を売り出していく必要があると思っています。
ちゃんとクラシックを体現している人なら尚更のこと、自分を世の中に認知させる努力をしてほしいと個人的には思っています。
いきすぎはダメ
先ほど言ったように、
作曲家ではなく演奏者自身がメインになってしまうとクラシックというものの本質からはズレていく可能性が高くなります。
これはめっちゃ難しいバランスなので、どうするのが正解とは言えません。
人それぞれ「ここまではやっていい」とか「こういうことならやっていい」という基準があると思います。
私はその線のギリギリを超えたりしながらネットを使ってクラシックと人々を繋げるために行動しています。
ガチクラシック演奏家にしか伝わらないかも
今日書いた記事は、正直なところ本当に心からクラシックを愛して、クラシックからも愛されている演奏家にしか伝わらないかもしれません。
でも、伝えたいのはそういう人たちです。
クラシックを体現できない人がクラシックを使ってネット活動をするのと、
クラシックを体現できている人がネット活動をするのでは相手に伝わるものが違うのです。
仲間よ、増えてくれー!!