こんにちは、しもんです!
先ほど、こういうツイートをしました。
クラシックを演奏するとき、心がある演奏者はその音楽を感じざるを得ない。でも、感じすぎて自分本位になってしまうと純粋なクラシック音楽から遠ざかっていく。
自分本位の演奏になってしまう人は、客観的に自分の演奏を聴く習慣をつけると『自分の表現とクラシック』のバランスを掴めると思う😌
— 佐野 主聞 / Shimon (@Shimon_Sano) April 1, 2021
クラシックを演奏するとき、心がある演奏者はその音楽を感じざるを得ない。でも、感じすぎて自分本位になってしまうと純粋なクラシック音楽から遠ざかっていく。
自分本位の演奏になってしまう人は、客観的に自分の演奏を聴く習慣をつけると『自分の表現とクラシック』のバランスを掴めると思う😌
クラシックというジャンルでは、演奏者が感動しすぎたり自分本位で自分だけが気持ちよくなっている演奏をしてしまうと、クラシックの本当に伝えたい部分が伝わりづらくなってしまうということが起きます。
語弊を恐れずに言ってしまうと、クラシックは演奏者の個性とかを入れる必要がないのです。
しかし安心してください。
「自分らしく弾こう!」とか思わなくても、楽譜を音楽的に読んで音楽を感じて弾くだけで個性は表現されます。
自分の個性を出そうと思わなくても出てしまうのが音楽なのです。
逆に、奇をてらった演奏はクラシックの本質からは遠ざかっていきます。
“音楽を感じている風”ではあるが、実は感じていない演奏が世の中に蔓延っているのが現状です。
ただ、だからと言って何も感じないで音だけを弾くのは違います。
演奏者は音楽を弾いている自分もいますが、その場で聴いているもう1人の自分もいます。だから音楽を感じざるを得ないのです。
音楽を感じないで弾くのはほんとうは不可能なのです。
その時に、音楽を自分本位で感じるか、音楽に寄り添って感じるかで人に与える印象は大きく変わります。
今の時代は、クラシックというジャンルでも
・自分本位で音楽を感じている演奏
・音を弾いているだけで何も感じていない演奏
がもてはやされていますが、『音楽に寄り添う』という感覚で音楽を表現できる人が多くなることを願っています。
ちなみに、自分本位だったり何も感じないでピアノを弾く人が多いとクラシック音楽界にとってはあまりよくないことが起きます。
ネットで拡散された演奏を聞いた人たちの大多数は「その演奏は良いものである」と勘違いしてしまうので、本当のクラシックを聴く耳を持つ人が相対的に少なくなるのです。
(だからこそ、クラシックをわかっていて表現できる音楽家がネットで活動する必要があると私個人は強く思っています。)
✔︎ 自分本位にならず音楽そのものに寄り添う
このバランスって本当に難しいと思います。
私自身も自分が前に出すぎることが多いからです。
自分が前に出がちな人は、演奏を聴くもう1人の自分を常に作っておくことが解決策のひとつになります😊