こんにちは、しもんです!
皆さん、昔はこんなこと言う人がいませんでしたか?
この言い方、今はかなり少なくなったと思います。
なぜなら、クラシック音楽は作曲者が男性であろうと女性であろうと世の中に音として生まれた瞬間に性別など関係のない存在になることが周知されてきたからです。
「男性的・女性的」という言葉で形容される理由としては、
・批評家の言語化能力が足りない
・演奏が性別を超越できていないだけ
この2つが考えられます。
私は小さい頃から下記のように思ってました。
小さな頃から「男性的・女性的」という表現に違和感を感じていた。
ピアノの演奏に関しても「男性的(女性的)な演奏」と言ってる批評家や先生方をみて、
「男性的?音が汚いだけじゃん」
「女性的?音の芯を捉えてないだけじゃん」
って思ってた。その感覚は完全に正しかった。
(続く)— 佐野 主聞 / ピアニスト×ブログ×YouTube (@Shimon_Sano) August 26, 2020
小さな頃から「男性的・女性的」という表現に違和感を感じていた。
ピアノの演奏に関しても「男性的(女性的)な演奏」と言ってる批評家や先生方をみて、
「男性的?音が汚いだけじゃん」
「女性的?音の芯を捉えてないだけじゃん」
って思ってた。
その感覚は完全に正しかった。
一般的に、
男性的な演奏は、ピアノの鍵盤を叩きつけているような演奏だったり、ヒステリックな叫び声で全く美しくない音を出す演奏。
女性的な演奏は、音の芯を掴めてないか演奏。
たまに男性が弾く演奏で「女性的」と形容されることもありましたが、その演奏は本当に真に美しい音楽であることが多かったです。
小さい頃から私は、
と信じていました。
そしてそれは正しかった。
クラシックにおいては確実に「美しい音・汚い音」というのが存在する。
(もちろん、その音が好きか嫌いかは聴く人に委ねられる)『美しい音が出せる人の汚い音』は音楽として聴けるけど『汚い音しか出せない人の汚い音』はそもそも音楽として聴くことができない。
みんな、耳を使おう。ほんとに。
— 佐野 主聞 / ピアニスト×ブログ×YouTube (@Shimon_Sano) August 26, 2020
クラシックにおいては確実に「美しい音・汚い音」というのが存在する。
(もちろん、その音が好きか嫌いかは聴く人に委ねられる)
『美しい音が出せる人の汚い音』は音楽として聴けるけど『汚い音しか出せない人の汚い音』はそもそも音楽として聴くことができない。
みんな、耳を使おう。ほんとに。
一般的に「男性的な演奏」と言われる演奏はただただ音が汚いです。
クラシックにおいては、この「美しさ」を感じるセンス(後天的に鍛えることが可能)があるかないかで演奏の品が変わります。
というか、クラシック的な音の美しさを感じられる人じゃないと本当のクラシックは表現できません。
「クラシック的には汚い音」が好きな人が多い世の中ですが、私は少しでもクラシックの耳を持つ人が増えて欲しいと思っています。
そのために、YouTubeやツイキャスで発信活動を続けています。