こんにちは、しもんです!
先日、こういうツイートをしました。
誰かへの愛や、好きという気持ちを表現するのに他の人との比較や他の人を見下す行為は必要ないのだよ
他の人と比べてその人が好きだとしても、それを表に出す必要はない
逆のことを自分がやられたら嫌だと思うはず
※このツイートに関しては、
コメント欄を開放してしまうとコメントした人の中からおそらく恨まれる人が出るだろうなと思ったので、コメント欄は閉じて投稿しました。
こういう投稿をしたときって、本人が意図していなくても誰かを否定したり叩いたりするようなコメントが出てくるのが世の常なのです。
僕に賛同するコメントをしただけでも恨まれる可能性がありますからね。
なので、最初からその可能性を排除しました。
推しに対する気持ちを表すために『他者比較』は必要ない
以前のブログでも書いたのですが、
まず、誰か嫌いな人を批判するために推しの言動を引き合いに出すのは論外です。
それはアンチと同じです。
例:私の推しならこんなことはしない。
など。
これはシンプルにあなたが好きな人に対するアンチ行為と変わらないのでやめた方が良いと思います。
さて、今日書きたいのは「好きであること」を表すときの話です。
他者比較自体は悪いことではない
他者比較自体は悪いことではない。
なぜなら、「誰かを好き」という気持ちは他者比較をすることで相対的に決まるからだ。
その人が他の誰かよりも何かが優れているから好きなのだ。
だから、推しが何人もいるというのは何も不自然なことではない。
それぞれの人にあなたが好きなポイントがあるから。
だから、頑張って推しを1人に絞る必要はないと思う。
ただ、好きを表すために “他者比較” を表に出す必要はないと思う。
それによって傷つく人がいるからだ。
好きであることをアピールするために攻撃的になってないだろうか?
私が実際に言われたことを例えに出そう。
ストリートピアノで会った人から、
・「私は(しもんさんを)フォローしてないんですけど、○◯さんが好きだって言ってましたー!サイン書いてください」
・「何か弾いてくださーい!」と言ってきたあと、「私は○○さんや○○くんしか興味ないんですけど…」
じゃあ、喋りかけてくんなー!!!笑
おれはなんて答えればいいんだwwwww
これ、
他の誰かを好きであることを言いたいがために「あなたのことは好きではない」と暗に言ってるんですが、他人を傷つけてることに気づいてないんですよね。
あ、ちなみに、
僕はこんなことでいちいち傷つかないので大丈夫です。笑
(以前の僕なら傷ついていたと思うけど、今は楽に流せる)
おそらくですが、攻撃的になってしまうってことはその人の中では他の人のことも(一部分だとしても)好きなんですよ。
その感情に抗うために、
「あなたには興味がない」という強い言葉を使って自分の感情を抑えようとしてる。
本当に興味がないなら話しかけてこないはずなんだ。
自分の中にある推しへの「好き」を守るために「他の人を好きになってはいけない」とどこかで思ってしまっているのだと思う。
そう思うのは自由だけど、それを表に出して他者を傷つけるのは違うのではないだろうか。
「この人のここは好き」
「ここは嫌」
というのを誰しも持っていると思うけど、
他人を変えることはできないので「ここは嫌」の部分は放っておいて、
「ここは好き」ってところだけ見ていけば幸せになれると思う。
逆に、推しに対して
「ここを直せ」
「ここが嫌い」
を言ってしまう人は、他人の人生を生きている証拠です。(暇な証拠です)
自分の人生を生きている人は、
他人に対して文句を言ってる暇なんてない。
なぜなら自分の期待に応えられるのは自分しかいないって知っているから。
そして、自分が最大限行動したとしても他人をコントロールできないことを知っているから。
他人はコントロールできない。
できるのは、自分の行動によって影響を与えることだけだ。