意見

「クラシックの敷居を下げる」は不可能です。【でも、クラシックを広めるための活動は必要】

こんにちは、しもんです!

今日はここ10年くらいでよく聞く『クラシックの敷居を下げる』について話します。
今日の話は、わからない人にはどうしてもわからない話になるかもしれません。

なぜかと言うと、クラシックを本当の意味で表現できている人にはわかる話なのですが、プロであってもクラシックを表現し切れていない人にはわからない話かもしれないからです。

「クラシックの敷居を下げる」は不可能です

「クラシックの敷居を下げる」っていうのは難しい話で、敷居を下げた時点でそれは『クラシックとは違う何か』になってしまう可能性が高い。

なので、私が考える解決方法はひとつ。

自分が影響力と発信力を持つしかないのだ。

ツイートの通りですが、

クラシックの敷居って下げようとした瞬間に、それはクラシックではなくなってしまうんですよね。

もちろん、クラシックを広く世に広めようとして活動している人は素晴らしいし、活動自体は否定されるべきではありません。

私はその人たちの活動も心から応援しています。

 

しかし、私個人としてはクラシックというものはあるべきルールを守って、その厳格さの中での自由さがないと本当の意味でのクラシックにはなり得ないと思っています。
(私が思っている…というか、実際にそうなのです)

敷居を低くするためにクラシックの全てを自由にしてしまったらそれはクラシックではなくなるのです。

そして、これは余談ですが、

・頭
・体
・耳

の使い方もクラシック独特のものがあるのですが、そもそもそれを表現できていない人たちがクラシックの敷居を下げようとしているんですよね。

 

すごく厳しいことを言いますが、

しもん
しもん
そもそもあなたが表現しているその音楽は、『音楽』ではあるけど『クラシック音楽』ではないよ

と思うことが多々あります。

でも、それはまた別の話なので今日は割愛します。

それでも、敷居を下げようとする活動は必要だと思う

敷居を下げるような活動をしていくこと自体は必要だと思っています。

その活動によってクラシックを聴いた人が興味を持ってくれて、本物の演奏家に出会ってクラシックの奥深さに気づいていく可能性はあるからです。

しかし、
“敷居を下げたクラシック(のようなもの)” と “クラシック” の差は激しいため、敷居を下げたクラシックから入った人は本当のクラシックの魅力に気づけない可能性も高いんですよね。

そのため、私が考える解決策はひとつです。

自分が影響力をつけろ!

YouTubeなどの影響で紛い物のクラシックが世の中に流通しまくってますが、それに勝てるくらいの影響力と発信力を身に着けるしかないんです。

私は紛い物のクラシックの方が本物のクラシックよりも良いとされる世の中の価値観が悔しすぎるから、自分の影響力を上げていこうと決意して今も生きています。

 

ただ、私は『紛い物のクラシック』が無くなって欲しい、とは全く思っていません。
(昔は思ってました。)

全ての存在には価値があるので、そのまま存在して良いのです。

ただただ、シンプルに私や本物の音楽家たちが影響力を獲得していく行動をちゃんとやれば良いのです。

 

クラシックを真剣にやっていて、クラシックの本質をわかっている人たち、

悔しくないの?

今、『影響力を持っていて本物のクラシックを発信できていない人たち』がたくさんネット上にいて、その人たちの演奏が『本物』としてもてはやされてるの、

 

悔しくないの?

 

おれは悔しい。

悔しいから、自分が圧倒的に影響力を持つ存在になれるように日々行動してる。

 

 

クラシック業界の人たち、

あなたがたが「ふんッ、あんな演奏して…!」と思っているような人が今世の中に認められてるんですよ。

 

違いはどこにあるか。

 

あなたが下に見ているその演奏家は時代に合わせて行動した。

あなたは時代に合わせて行動していない。

 

その違いです。

僕は悔しかったので時代に合った行動しています。

あなたがバカにしている演奏家も、時代に合わせて行動しています。
行動している人は素晴らしいです。

どの時代も、時代にあった行動や時代の先を行く行動をしている人が、
行動していない人間より圧倒的に上なのです。

 

人の演奏を聴いて文句言ってる場合じゃないですよ。

 

行動しましょう!!!