先日、札幌では3日間かけて嵐のコンサートがありました。
札幌は嵐ファンでいっぱいに!
飛行機もホテルも満席・満室で大変なことに。
そこで思ったんですが、
嵐のファンの方々を見ていて思ったんだけど、
クラシックではこの熱量を持ったファンってなかなかいないよな。クラシックで1つのコンサートの規模を大きくするのは限界があるし、
マス・メディアに出ることも少ない。だけど、
実力×営業力×希少性を高めていくことで見えてくる世界が変わるかも。— 佐野 主聞 / ピアニスト×ブログ×YouTube (@Shimon_Sano) May 18, 2019
嵐のファンの方々を見ていて思ったんだけど、
クラシックではこの熱量を持ったファンってなかなかいないよな。
クラシックで1つのコンサートの規模を大きくするのは限界があるし、
マス・メディアに出ることも少ない。
だけど、
実力×営業力×希少性を高めていくことで見えてくる世界が変わるかも。
それに対して、コメントをいただいたので紹介します。
https://twitter.com/AsamiSatoda/status/1129578452909035520
https://twitter.com/Uacademia/status/1129779146614165505
所謂クラシックの人って、自分たちのやってることには高度な専門性を自覚しているし他者にもそれを認めさせようとするのに、他のことには専門性を感じようとしないのが大きな足かせになっている気もします。営業も専門職だってことを理解して積極的に分業しようとする姿勢が必要じゃないかと。
— 佐々木 洋平 (@yoheisasaki) May 19, 2019
これっていうのは小さな範囲では
・声楽家が対訳を自分で書いてプログラムに掲載しちゃう(専門家が存在する)
・演奏者が自分でチラシをデザインしちゃう(専門家が存在する)みたいなことも含んでいる。自分のやっていることに矜持があるなら、自分の外のことも然るべきだと考えるのが筋だろう。
— 佐々木 洋平 (@yoheisasaki) May 19, 2019
羅列しましたが、
まとめると、
・実力を追求していくのが正義だと思っている人が多い
・実力不十分なまま世の中に出ても、世の中の人々に歓迎されている現実が悩ましい
・演奏家は自分の専門性を認めさせたがるけど、他の専門性のあることも自分でやろうとする
今日はこれについて少し深掘りしてみようと思います。
実力だけでは難しい
これは最近のブログ記事でも散々書いていますが、
もちろん実力は必要です。
ただ、実力が不十分だと思われる人たちが売り出し方次第でいくらでも売れていく(世の中に認められる)世界でもあります。
芸術の世界って実際曖昧なことばかりで、
最終的に受け取る側の感覚に任せられる部分が多いのです。
そして、その感覚は残念ながら操作されていることが多いのも事実です。
聴衆(ファンの方)が「この人は実力がある!感動した!」と思っていたとしても、
それは演奏としての実力ではなく、
演奏家の外見やこれまでの演奏家のストーリーに感動しているだけ、ということが多々あります。
というか、ほとんどがこれです。
(もちろん、それを否定している訳ではありません。)
もし、誰が弾いているかわからず音だけで判断するとなると難しいと思います。
「この人が弾いているから良い!」という判断しかできないのが普通です。
※「私は違う!音だけで判断できる!」という異論は認めます。
私もそうだからです。
ただ、そういう人って自分も演奏をしている人なのではないかなと思います。
クラシックの演奏家が目指すべき道の一つは
先ほど「芸術は曖昧だ」と言いましたが、
売り上げ=実力×営業力×希少性
のこの世界で、
芸術家の場合、この3つが重なっている部分があるんですよね。
なぜなら、
芸術家って、少なからずその人自身を表現する職業な訳で、
その人自身の魅力や価値が希少性や営業力に関わってくるからです。
そのため、実力が不十分でもやっていけることになります。
逆に、実力だけあっても自分自身を知ってもらう努力をしていない芸術家は
実力があるのに認められない、ということになります。
それでその人が幸せなら全く問題ありませんが、
もし「自分はもう少し認められても良いはずだ」と思っているなら、
実力をつけつつ、自分というブランドをアピールする努力をした方が
最終的に人生が楽しくなると思う。
アピールすることを邪道だと思っている人がまだ少なからずいるけど、
実力を認めてもらうまで他人任せで生きるよりも、自分で行動した方が良い。
私が行動しなかったエピソード
なぜ私がこんなにも「早く行動した方が良い!」ってブログやTwitterで言いまくっているのかというと、
行動しなかったことによって大きな機会損失をした経験があるからです。
それはもう…数えきれないくらいあります。
その中の1つ。
3大会前(6年半前)の浜松国際ピアノコンクールにて。
私は2次予選で落ちたのですが、
審査委員長の海老彰子先生に、
「主聞さんは本当に素晴らしい音楽をするから、インターネットで演奏を発信したらどうですか!(優しい笑顔)YouTubeとかありますよね(優しい笑顔)」
私はこれを聞いた時、
と言ってすぐチャンネルを作ったは良いものの、
と思って、少ししか演奏を投稿しませんでした。
ですが、どうでしょう!今のYouTubeや他の動画プラットフォーム!
(ちょっとずつ衰退傾向はありますが、)
まだまだ伸びています。
まだブルーオーシャンばかりです。
結果的に、海老先生に先見性があったことになります。
あの時に素直にアドバイスを聞いてネットのでの活動を本格的にしていれば…と今でも思います。
でも、2013年は私がブログを始めた年でもあります。
結果的にこれはよかったと思う。
文章スキルだけではなく、人に何かを伝える力が伸びた。
これは大きい。
専門性の否定
・演奏家は自分の専門性を認めさせたがるけど、他の専門性のあることも自分でやろうとする
について、
これは少し難しい問題でもあって、少なからずお金が絡んでくるため、
お金を自由に使えない演奏家は自分の時間を使ってお金を節約しようとするわけですが、
個人的には、
他の専門家にお金を回していく+自分の時間を得る
その方が圧倒的に人生が豊かになるのでお勧めします。
私はまだまだ自分のすることで精一杯ですが、
自由にお金を使えないという若い音楽家にお金を配れる立場になりたい。
そのために試行錯誤しつつ死ぬ気で働きます。
今日も読んでくださりありがとうございました!