趣味でピアノをされている方のツイートを目にしました。
有名な先生の体験レッスンで 「あなたが目指すものは何、ピアノについてどうありたいの」って聞かれたから、
「おばあちゃんになってもピアノが大好きでいて、大好きな曲を演奏し続けることが1番の夢です」って答えたら
鼻で笑われて、コンクールの存在について話された。とっても悲しい。
「上手くいってる子は皆、短いスパンでコンクールの計画立てて練習してるのよ。
あなたの演奏聞かせてもらったけど、そんな心の甘さじゃ世界に行けないわ」
世界に行く話なんかしてないし、ただの趣味だよ。
趣味の方には楽しくレッスン🎶ってホームページに書いてあったから体験しに来たんだよ。😢
こんな先生がまだまだ世の中にいるんですよね…本当に残念だし、
この先生は音楽家とは言えません。
「ピアノを弾く」
それだけで尊いことだし、「年をとっても演奏し続けることが目標」って素晴らしいことです。
実際、”有名な先生”とか”権力を持っている先生”って、ほとんど演奏活動してなくない?
自分が演奏活動してないのに,演奏をちゃんとしている人を笑うなよ。
ちゃんと演奏活動をしている先生なら鼻で笑ったりしないはず。
体験レッスンとのことなのでもう会うことはないとは思いますが、
先生なんて無数に居るし、すぐに離れて自分がやりたい音楽ができる先生を見つけましょう。
生徒を所有物扱いする先生
あと、これは私個人の感じ方ですが、
例えば、生徒がコンクールなどで良い結果を出した時に、さも自分の功績のように思ってる先生が多い気がする。
言っとくけど、
結果を出したのも、そのために行動したのも生徒だからな。
先生は手伝っただけだし、それに対する対価ももらってる。
嬉しい気持ちはわかるし、それを表現するのは自由だけど、
「私の弟子が、私の生徒が」と「私の」を何回も繰り返し強調して、
生徒を自分の所有物扱いする先生がいるのはすごいモヤモヤが残る。
きっとその先生はそんな考えがあることは認めないと思うけど、
言葉の中にその心理が出てしまってるんだよな。
受け取り方は人それぞれなので私みたいに受け取らない人もいるだろうけど、
どうしてもああいう文章を見ると「生徒がやったことを喜んでいるよりも、自分が賞賛されたいんだな」と思うし、ものすごく引く。
「おめでとう!」でいいじゃん。
その生徒が居ることが先生の存在意義、みたいになってるのってかなり危ういと思う。
その先生は自分自身でまだ自分の価値を認めることができていないのかな、と思う。
その生徒がいなくても、あなたは充分に尊いから大丈夫なのに。
※ちなみにこれは、
自分とは関係ない話なのでその先生方に変わってほしいなんて全く思ってません。
そういう投稿を見た時に「なんだか気持ち悪いな」とは思うけど、別に気にせずスルーするだけです。
今回はただただ自分はそう思っているということを書きました。
まとめ
先生としての在り方って正解などないと思うけど、
一つ絶対に必要なことがある。
それは、先生も学び続けて変化しないといけないということ。
変化=成長とは限らないが、
成長する時には必ず変化がある。
変化するということだけを考えると恐ろしいかもしれないが、
学び続けると全く怖くなくなる。
というより、変化が当たり前になる。
これを読んでくださった先生は、今一度自分の先生としての在り方が固定化されていないが考え直してくれると嬉しいです。
それが、音楽を学ぶ生徒さんのためにも先生としての自分のためにもなります。
https://sanoshimon.com/2016/09/13/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%81%AF/
コンクールを受ける意義について話した動画も貼っておきます。
Part3まであるので観てみてください。
レッスン&コンサート情報はこちら!
(5月12日〜15日まで東京でレッスンします)
https://sanoshimon.com/2019/05/06/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%86%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%B3%E6%83%85%E5%A0%B1%EF%BC%88%E9%9A%8F%E6%99%82%E6%9B%B4%E6%96%B0%EF%BC%89/