クラシック音楽は、
その「音」だけで完璧な音楽として存在できると私は信じています。
そのため、音楽を表現するために無駄な動きに頼らず
必要最低限の動きで演奏できたら、その人はクラシックのピアノ演奏家として本物だと思います。
実際、
視覚的なパフォーマンスで聴いている人を楽しませることは可能だし、
時と場合によってそういう演奏はいくらでもできるし、
そういう演奏が偽物だと言うわけではありませんが、
クラシックの場合、
視覚的な動作によって音楽そのものを壊してしまう可能性があるくらい、
「音」だけでもう既に完璧な存在なのです。
今回は三回に分けて、演奏における無駄な動きについて書きます!
ピアノを弾くとは
ピアノを弾く時、
「鍵盤に指がついた状態を感じてから鍵盤の底までタッチして、そして鍵盤が上がってくる重みを指に感じる。その間で音を作る。」
「打鍵は上から下ではなく、下から上のイメージ。」
これらは常に言われることですが、
これらを意識しないと音はまとまらずに四方八方に飛んでいき、響きが伸びずに心が伴っていない汚い音として聴いている人に届きます。
そして、
① 備える(頭の中で理想の音を鳴らす) → 頭
② 弾く (自分の声のように話す) → 体
③ 聴く (理想の音が鳴ったかどうか確認する)→耳
この3つのことを同時に、全ての音で感じることで初めて、本当の意味で人に音楽を届けることができます。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、
そうなんです。
②だけやっている人、②のことばかり気にして汚い音や全く特別じゃない音で弾いてる人がなんと多いことか!!!
①と③に対する意識が低すぎる!
理想の音を頭で鳴らして、それができたか耳で感じる。
これは当たり前のことなのですが、完璧に体現するのは難しいです。
しかし、プロのクラシックの演奏家ならこれを追い求めていきたい。
なぜなら、
自分の理想を追い求めていない中途半端な音で、
しかも大して自分の耳を使って聴いていない音をお客さんに聴いてもらうなんて、
演奏家としての責任を果たしていないからです。
自分が聴いてない音をお客さんに「聴け」なんて言うのは、
オンラインショッピングでネット決済したけど商品届かず出品者逃亡!
みたいなことと同じです。(相変わらず例えの下手さ加減が尋常ではない。笑)
完璧なんて無理ですが、自分がその時にできる最大限は追い求めていきたいですよね。
さて、
音楽をする上で「心」が大事なのは大前提として、
耳>頭>体
の順で大事だと私は考えます。
なぜこう書いたかというと、
奏法や身体の使い方というのは、
耳がどういう音を求めるか、どうしたら自分が求めている音を出せるのかを考えて、
素直にそれに従っていけば自然と解決できることだからです。
身体の使い方というのは最終的に出てくる「結果」であって、
なぜそういう身体の使い方をするのか、「耳」「頭」と結びついた「理由」を根本的にわかって初めて意味を成します。
「人にアドバイスされて体の使い方を変えてみたら、なんだか良い音が出ているらしい。」
ではなく、
「こういう音を出したくてその欲求に素直に従っていたら、こういう弾き方になった。」
というのが本来の順序だと思います。
そして、そういう動きであれば音楽を邪魔しません。
音楽を表現するために必要な動きだから。
もちろん、体の使い方を改善することで、耳の使い方や精神的な面に良い作用もあるので、体の使い方をないがしろにして良いという訳ではありません。
さて!
次回は、無駄な動きの例をあげて、考えていることをひたすら書きます!