こんにちは、しもんです!
世の中には「嫌うことを嫌う」人たちがいますが、
・「好きじゃない」という感覚
・違和感
これらはとても大切です。
なぜかと言うと、
「嫌い」という感覚がないと「好き」に個性が生まれないからです。
これは難しい問題だけど、
「嫌い」という感覚がなくなったら
「好き」にも個性が生まれない。あと、アマチュアは別に良いとしても、
プロのクラシックの演奏家の中では「クラシックはこうあるべき」という演奏が受け継がれていかないと、
『本物のクラシック』は衰退してしまうのも事実。 https://t.co/OV9MZWuIBY— 佐野 主聞 , (@Shimon_Sano) 2019年10月21日
「嫌い」があるから「好き」に付加価値がつく
私は昨日、こういう記事を書きました。
私はずっと「嫌い」なことを口にすることを避けつつ『全てを受け入れてる風』を装ってきましたが、
そんなことをしても誰の心にも刺さらないので思いっきり自分の気持ちを文章にしました。
もちろん他人の意見や行動を受け入れる余裕はある程度必要ですが、私は今まで嫌なものを見たときはスルーするように心がけてきました。
でも、たまには「嫌いなものは嫌い」としっかり意見を表明しても良いと思い、上記の記事を書きました。
上記の記事は、物事の良し悪しを断定しているわけではなく、
私の好き嫌いの話を書いているだけですが、
物事を断定するとしても、それはそれで結果的に問題ないと思います。
物事を断定しているからと言ってその意見を述べている人が無知なわけではないし、
断定した意見によって賛否両論で溢れかえっても、
みんながそのことについて考えるキッカケになるので結果的に良いと思ってる。大切なのは、
「考え」と「それを言った人間」を分けて考えること。— 佐野 主聞 , (@Shimon_Sano) 2019年10月16日
炎上している人やその周りの人を見ていて私が感じるのは、
意見を発信するときはある程度、
『あえて一元的な見方で物事を断定して述べていい』ということ。
全ての人に配慮するのは不可能だし、
「こうも考えられるけど私はこう思う」という言い方だと、
良くも悪くも人の心には刺さらないのだ。
物事を断定しているからと言ってその意見を述べている人が無知なわけではないし、
断定した意見によって賛否両論で溢れかえっても、
みんながそのことについて考えるキッカケになるので結果的に良いと思ってる。
大切なのは、
「考え」と「それを言った人間」を分けて考えること。
私が尊敬するちきりんさんもこういう記事を買いています。
自分の意見をいう立場の人は絶対に読んでください。
6年前の記事ですが、読む価値があります!
行動してないやつらの批判意見は完全に無視でいい
私が引用リツイートをした元ツイートを書いた方は、
あくまでもアマチュアの中での話を書いたそうです。
特にアマチュアの場合、批判してくる人ってほとんど自分で行動できてない人間なんですよね。
自分でちゃんと行動していて自分のやることに没頭している人は、無駄に他人の批判なんてしないもの。
なので一切気にする必要がありません。
思考と行動をしているかどうか
思考と行動をちゃんとしている人の意見には価値があります。
そして、思考&行動をしているかどうかは確実にバレます。
なので自分の意見を言う私のような人間は常に勉強して行動し続けないといけません。
まとめ:「嫌い」気持ちと向き合ったら、自分だけの「好き」が生まれる
「好き」「嫌い」と言ってしまうと、0か100かになってしまうと思いがちですがそうではありません。
どれくらい好きなのか、どこがどのくらい嫌いなのか、分解して考えることもできるはずです。
自分の「好き・嫌い」を分解して考えることで自分に個性が生まれてきます。