意見

読み手の能力と書き手の責任

こんにちは、しもんです!

唐突ですが、このブログを読んでいるという時点であなたは頭が良いです。

「私のブログ」を読んでいるから頭が良いという意味ではなく、そもそも文章を読もうとしていることが頭の良さの表れなのです。

動画の時代になった今ではなにも考えなくとも簡単に情報が入ってくるので、文章を読んだり自分の頭で考えたりする能力が足りなくなっている人が増えてきていると感じています。

どんな文章にも『書き手』と『読み手』の2人が存在するけど、書く人だけではなく読む人にも能力が必要とされます。
詳しくは『本を読む本』に書かれています。
▶️https://t.co/OXpOrAKvY9

誰かの意見を見たときに、最低でも「書き手がどんな立場でその意見を言っているのか」は読み取る必要がある。

読み手の能力と書き手の責任

そもそもブログという文章コンテンツを楽しんでくださっている時点で頭が良いです。

なぜなら人間は楽な方向にいこうとする傾向があるので、文章を読むよりも音声や動画の方が好まれるからです。そもそも「文章って面倒くさい」と思う人が多いのが現状です。

相手を想像するスキル

文章を読み慣れている人は、

✔︎ 書き手の立場や頭の中を想像しながら読む

ということが自然にできますが、文章を読み慣れていない人はこれができません。

なので、

しもん
しもん
伝わるはずなのに伝わらない

ということがTwitterでは起きやすいのです。

例えば、
「あの人はピアノが上手い・下手」という意見を見たときには、その意見を言った人がどういう立場で言っているのかを考える必要がある。

特にTwitterだと文字制限の中ですべてを説明するのは難しいので、読み手の能力が必要になる。

ただ、私の意見としては

✔︎ 書き手が論理的に『上手い・下手』を説明できないなら、それは書き手の『好き・嫌い』という主観でしかないので、『上手い・下手』という言葉を使わない方が良い

と思っています。

Twitterにおいて、私はクラシックの演奏家の中で一番炎上経験が多いと思っていますが笑、その8割以上の原因は『読み手の能力のなさ』によるものでした。

書き手は読み手を想像して文章を書く必要があるし、読み手も書き手のことを考えて文章を読むスキルが必要です。

上手い・下手を論じることができるのは専門家だけ

私自身も、自分の主観でしかないのにまるで客観的な事実であるかのように物事を言ってしまうことがあるので、上記のツイートの内容はいつも気をつけるようにしています。

私が「上手い・下手」と相手を論理的に評価できるのは『ピアノ』と『麻雀』くらいです。

※これは他人の行動や考え方を評価するとき限定です。
自分で自分を評価するのであれば、いくら「上手い!」とか言っても問題ありません。なぜなら評価を受け取るのも自分だからです。そこは他人にどう思われようと自分が自分でそう思っているなら良いのです。

他人を評価するなら客観的な事実に基づいていた方が説得力がありますよね。

「良い・悪い」「上手い・下手」を論ずることができる人って本当に限られると思っています。その分野のプロ、かつ、相手よりも上のレベルにいないと無理ですよね。

なので、自分の感想や主観でしかないなら「好き・嫌い」とか言葉を使うことで受け取り手との摩擦を避けることができます。

ちょっとずつ自分の考え方も変わってきた

ここまでの内容は今までのブログでも言ったことのあることでしたが、最近はすこしずつ私の考え方も変わってきました。

というのも、興奮して「うま!!!」とか言うことってありますよね!僕もあります。全く専門家ではないのに。笑

肯定の場合はある程度その人の主観であったとしても言っちゃっていいと思います。
興奮して言っちゃうことあるもん。笑

私自身も語彙力が足りないので、「上手い!」って言葉でしか表現できないときがあります。

特に生放送のチャット欄とかだと、わざわざ「なぜ上手いのか」を説明するスペースなんてないので短い言葉で感想を伝えるのはありです!!

ブログとか長文で論じる場合は説明が必要だと思っています。

 

こうやってブログに自分の意見を書くことで自分の中で考えがまとまったり、考え方が成長するのもブログの良いところだなぁと思います😊