こんにちは、しもんです!
「商品やサービスが売れている」ということは、買い手と売り手で交渉が成立しているということです。
もし売り手が汚い売り方をしているとしても、買い手の需要を満たしている事実は変わりません。
なので、ものやサービスが売れるのは良いことです。
そして商品やサービス対して、それらを買っていない第三者がどうこう言う問題ではないと思っています。
なぜなら、売れることで経済が動くからです。
お金は回していくことで初めて価値が生まれるので、お金は回していく必要があります。
その点では、汚い商売だろうと売れていること自体は素晴らしいと思います。
しかし、サービス・商品提供者が「サービスそのもの」や「サービス購入者たち」を侮辱しているようなサービス・商品づくりをしている場合は気をつけないといけないと思っています。
私は最近、
クラシック音楽を扱っているにも関わらず、売れることだけを意識して商品づくりをした結果、クラシック音楽を歪めたりクラシックに真摯に向き合っている人間たちを侮辱するような商品を買ってしまいました。
もう一度言いますが、売れているのは社会的に素晴らしいことです。
でもクラシック音楽界全体として見たらどうだろうか。
短期的視点で考えても、長期的視点で考えても私にはどうしても理解ができない。
新規のお客さんを獲得できたとしても、
そもそもクラシックを侮辱しているから本当のクラシックを知っている人たちはどんどん離れていく…。
それは果たして良いことだろうか。
今は大衆に迎合してクラシックの根幹を完全に無視している商品やサービスを提供している人や組織も、元々はちゃんとクラシックのことを考えていたはずなのです。
実際に私は今までその商品やサービスを買っていました。
(今回も買いました)
しかし、大衆迎合した結果、クラシックの「ク」の字も伝えられないような3流サービス(商品)になっていた。
売れることだけを意識するとクラシックの真髄を伝えることはできなくなる。
もう少しうまいバランスの取り方を考えてほしいと思いました。
ずっと続けてきた商品やサービスの信念を変えて、ただただ売れるための商品やサービス作りにシフトしているのを見ると心が鈍く痛む。
提供者が喜んでやっているなら良いし、売れるのも良いことだけど、クラシックで「売れるため」だけにフォーカスしてしまうと必ず矛盾が生じる。難しい問題だと思う🤔
— 佐野 主聞 / Shimon (@Shimon_Sano) April 30, 2021
今は大衆に迎合しているサービスや商品提供者も、元々はしっかりとクラシック音楽に向き合って商品やサービスを作ってきたことを私は知っています。だからこそ心が痛い。
今のその会社のサービスや商品作りには「大衆やクラシックを利用して食い尽くしてやろう」みたいな精神を感じてしまうのです。
売れるために頑張っていると思うけど、「売れること」と「本当のクラシックを伝えること」のバランスをもう少し模索してほしい。
今の “一部のクラシック音楽業界のメディア” は本当にクラシックを侮辱していると個人的に感じています。