エッセイ

クラシック音楽界の問題点 〜ディーナ・ヨッフェ先生との対話から〜


私のブログ記事を読んでくださった方々の中には
「なんだこいつ、社会的立場もないくせに偉そうに色々語ってるな。」
と思った方が沢山いらっしゃると思います。


でも全ては、

ディーナ・ヨッフェ先生と会って、
レッスンとそれ以外の時間で先生と話したことを書きたかったがためです。

先生と話したこと


先生が話してくれたのは

・とにかく音楽的に楽譜を読めない人が多い

・コンクールの罪について

・日本人の若い子は演奏会に行かなすぎる

・日本の音楽マネジメントについて


当初、この4つのことを1つの記事にしようとしてた。
さすがに無理がある。


楽譜の読み方については、ディーナ・ヨッフェ先生が「あなたはちゃんと音楽わかってる本物の音楽家よ。」と言ってくださったので、
自分が考える楽譜の読み方をそのまま書きました。

音楽的に楽譜を読む方法「楽譜を読む」「楽譜通り弾く」ってどういうことなんだろう。 この疑問に答える前提としてわかって欲しいことは、 人が奏でる楽器...

 

「コンクールについて」を書いたのは、
彼女がコンクールのことを話す時、
「私たちの世代が悪いの。コンクールのせいで、
『音楽をわかっていない、ただ機械的にピアノを弾く人』が増えてしまった。私たちに罪があります。」と目に涙をためて話していたのが印象的で、言葉にして残したいと思ったためです。

コンクールとは今までたくさん、コンクールで心が壊れてしまう人、 人間関係が悪くなってしまう人たちを見てきました。 今日はコンクールを受けたい人...



個人的には、
・良い音楽を届けるため
・自分を成長させるため
・将来の音楽仲間たちと出逢って良い関係を築くため

コンクールを受けることは良いことだと思います。

どんなコンクールでも、自分次第でかけがえなのない経験になることは事実だから。

演奏会に行かない若い人たち

 

これについては、記事にする必要がないほど簡単な話。

「演奏家になりたい人間が、生の音を聴かずして、どうやって演奏家になろうというのか。」

ということに尽きると思う。

自分の成長のための投資に使うお金は惜しんではいけない。
時間もお金もないときは本当に大変なのは痛いほどわかるけど。
まだ学生なのに、月に一回もコンサートを聴きに行かないのはあまりにも勿体無い。

海外のように、学生はタダで入れたり、格安で入れるようなシステムを日本にもちゃんと作っていただけると嬉しい。
マネジメント会社や主催者の方、宜しくお願い致します。

 

日本の音楽マネジメントについて

今日のメインはここです。

上記のコンクールについての記事や、
先日、感情のままに書いてしまったこの記事と似ている点があるのですが、


音楽マネジメントに携わる人間も音楽をわかっていないことが多い。

確かに、彼らはお客さんを集めないといけないので、

きっと演奏家というものを

社会的価値(その演奏家を求める人が多いかどうか)で判断している。

人を呼べるか、集められるかということが大事だということはもちろんわかる。

しかし、


音楽的価値と社会的価値は必ずしも一致しない。


マネジメント関係の人間が、本物のクラシック音楽というものをわかっていないために、
本物とは言えない演奏家のコンサートを沢山企画してしまったとしたら、
本物を知らない人が沢山出てきて、
一部の評論家のようにクラシック音楽を知ったフリをする人間が出てくるのも当然だ。


そして、ディーナ・ヨッフェ先生が仰ってたのは、

そのプログラムについて。

「音楽マネジメント会社は、良い演奏家も海外から沢山呼んでいるのに、彼らに選曲の自由を与えない。例えば『ショパンを弾いてくれ』とか。
他にも素晴らしい作曲家、作品が沢山あるのに。」

本当にその通りだと思う。



一人の演奏家が
その選曲や演奏の質で
社会的価値と音楽的価値、両方のバランスとるのはさすがに難しいだろうから、
音楽界全体として
もっとうまくバランスをとれないものだろうか。


社会の需要を意識して
その需要を満たすものを供給することは大切だが、

その需要がもしクラシック音楽を歪めてしまうものだとしたら、危ない。

本当にバランスが大切。

自分も含め、クラシック音楽界に携わる人間は
もっと深く音楽を学ぶべきだと思う。



でも本当は、
小さい頃からの音楽教育を変えていくしかないと思う。
演奏家の中には、アウトリーチや幼稚園や小学校の音楽鑑賞会などで頑張ってくれてる人が沢山います。


そして、もっと根本的に
日本の学校教育が変わっていけば音楽にも未来があると思う。


確かに、昔と比べてクラシック音楽に携わる人は増えた。

それはきっと、コンクールのおかげでもあるかもしれない。

だとしたら
次の一歩を踏み出そう。


演奏家から音楽家へ。


音楽家から芸術家へ。



クラシック音楽の伝統を教えられる人・それを学ぼうとする人・継承できる人がもっと増えますように。

私も日々学んで、成長していきます!