こんにちは、しもんです!
皆さんは普段、「自分」と「音楽」や「先生」とどういう距離感になっているでしょうか?
今日、練習の時から動画撮影することをオススメするツイートをしたのですが、
その中で「先生のために弾かないこと」の重要性を書きました。
レッスンの時や本番前の練習では、
集中力が増していつも気付かないところに気付くようになる。それを普段からうまく利用するには『動画撮影』がめちゃくちゃ有効です。
ただ、気をつけないといけないのは『先生のために弾かないこと』。
あくまでも『音楽のために弾くこと』が大切。
— 佐野 主聞 / ピアニスト×ブログ×YouTube (@Shimon_Sano) 2020年4月28日
レッスンの時や本番前の練習では、
集中力が増していつも気付かないところに気付くようになる。
それを普段からうまく利用するには『動画撮影』がめちゃくちゃ有効です。
ただ、気をつけないといけないのは『先生のために弾かないこと』。
あくまでも『音楽のために弾くこと』が大切。
(続き)
クラシックにおいては、
『自分』のために弾くと独りよがりで伝わらない演奏になるし、
『先生』のために弾くと無駄なプレッシャーを感じて自分を滅してしまうことになる。
私の場合は『音楽』のために弾くことが自分や周りの人のためにもなってる。
— 佐野 主聞 / ピアニスト×ブログ×YouTube (@Shimon_Sano) 2020年4月28日
クラシックにおいては、
『自分』のために弾くと独りよがりで伝わらない演奏になるし、
『先生』のために弾くと無駄なプレッシャーを感じて自分を滅してしまうことになる。
私の場合は『音楽』のために弾くことが自分や周りの人のためにもなってる。
とりあえず『先生(他人)』という視点が、
良い刺激になる人と過度な刺激になって病んでしまう人がいるので、
その人それぞれの適切な距離感をとりながら、
みんなが、自分のためにもなっていて音楽のためにもなっているようなクラシックとの向き合い方ができると良いなあと思っている。
ツイートに書いたことが全てなのですが、
人によって先生との距離感は変わってくると思います。
特に、
先生が無駄に生徒に尊敬を強制してくるような人だったり、一切演奏で示さないのに言葉だけ一丁前だったりすると全く信頼は生まれないので、
そういう先生からは離れた方が良いです。
なぜなら音楽は「音ありき」だからです。
音で表現できない人間がピアノを言葉だけで教えようとしても説得力がゼロですよね。
今日はそういう先生は論外として、ピアノが弾ける先生に習っているとしてもクラシック音楽の道を目指す生徒が陥りがちなマインドセットについて話します。
自分と音楽と先生との距離感について
良い距離感・悪い距離感
先生のレッスンを受けて良い刺激を受けて、自分の普段の練習にも他人目線が入ること自体は悪いことではありません。
妥協する自分を戒めてくれるからです。
自分の音楽に対する感覚を研ぎ澄ませてくれる刺激であれば、良い距離感だと思います。
しかし、「先生の言うことを聞かなくちゃいけない」「先生に怒られないように頑張ろう」など、こういうマインドだと音楽が死にます。
先生の言うことを聞いたことによって自分が音楽の喜びを感じられるのなら良いのですが、
先生の怖さや圧力を避けるためにアドバイスを聞こうと努力しているならそれはもう健全な関係とは言えないので、
どうかその先生で学ぶことはやめて良い先生を探してください。
良い関係が築けないのはあなたのせいではありません。
良い距離感をもてない先生に習っていてもあなたの人生の有限な時間(命)の無駄になります。
(厳密には全ては無駄になりませんが、命が勿体ないです。)
音楽の愛し方には間違った愛し方がある
先生と自分の距離感について話しましたが、次は自分と音楽との距離感についてです。
クラシック音楽には「正しい愛し方」は無限にあるし正解がこれだ!と言えるものではありません。
でも、「間違った愛し方」は明確に存在します。
レッスンを受ける価値の一つは、
知識的にも感覚的にも間違っていない愛し方を理解して表現していくことにあります。
例えば、クラシック音楽の曲を音色も考えずに思いっきり鍵盤をぶっ叩くような演奏をしていてもクラシックとしては成立しないですよね。
クラシックには間違った弾き方や感じ方があるのです。
厳しいかもしれませんが、これは事実です。
クラシック音楽って「愛し方のルール」を守った上で深く表現していく芸術なんですよね。
要するに、
正しい愛し方は無限にあるけど、「間違った愛し方」が明確に存在するということです。そこらへんを演奏でも言葉でも表現して伝えられる先生に習ってほしい😊
— 佐野 主聞 / ピアニスト×ブログ×YouTube (@Shimon_Sano) 2020年4月28日
クラシックは「間違っていない表現の中で(ルールの中で)どれだけ深く愛せるか」という音楽ジャンルなんですよね。
リズムとメロディーハーモニーをクラシックとして深く愛していくための方法を学ぶのがレッスンです。
その愛し方が間違った状態でクラシックと向き合っていても深淵に到達することはできません。
(※ちなみに世間的に人気があるのと、音楽を表現できているのは全く別物です。
人気だからといって音楽的に素晴らしいわけではありません。プロでもクラシック音楽の愛し方を間違っている人が沢山います。)
まとめ
生徒の立場の方へ
まずは自分が音楽が好きだったり、興味があったから習い始めたと思います。
そこから先生に音楽の愛し方を教わるわけですが、
その過程で先生が怖いと感じたら距離をおきましょう。
その先生に習うのはやめちゃって良いです。
しかし、先生が良い刺激になるのならどんどん利用しましょう。
自分の普段の練習から、自分の音楽の愛をより深めるための刺激を先生から得ましょう。
先生の立場の方へ
先生に対するアドバイスをするなら、
先生は生徒を「自分と対等な人間」として接していないといけません。
これは親と子でも同じことが言えますよね。
音楽を愛していることに変わりはないのですから、見下してはいけません。
そんなことしたら一瞬でバレます。
先生は『生徒と音楽』、どちらに対しても愛が必要です。
どちらかが欠けてしまった時点で先生としての器が足りなくなってしまいます。
そして、音楽の愛し方がまだわからない先生はどうか勉強してください。
日本の先生の95%くらいは音楽を知りません。
表現できません。
どうか表現できるようになってください。
少しずつでも。