こんにちは、しもんです!
私はTwitterが好きで、よく投稿するしいろいろな人の投稿を見るのですが、
クラシック界隈(に限らないけど、なにかの専門家)の人たちってどうしても上から目線で煽るような発言をしてしまうことが多いと思う。
さらに、文章デザインのスキルも足りていない(そもそも勉強する気がないっぽい)ので、誤解させたり不快にさせる確率が高い書き方をしてしまうんですよね。
もちろん相手をコントロールすることはできないし、どう感じようが相手の勝手であることは前提としても、
上から目線や煽った投稿で生まれるのは、
・敵
・盲信者
のどちらかです。
ニュートラルな視点の人は、上から目線や煽ってくる人には近づきません。
クラシックの専門家たちが厳しいのはわかるし、僕もそちら側の人間なので共感しますが、
といつも感じています。
そんなことを思いつつ、こんなツイートをしました。
ピアノの楽しみ方は人それぞれです。
うまくなりたい時にはそれ相応の練習の仕方があるし、
自分のために弾いて楽しみたい時には弾き方なんて気にしなくていい。大切なことは『0か100かではなく、その中を移ろって良い』ということ。
楽しく上手くなっていけるバランスを自分の中で見つけよう😊
— 佐野 主聞 / Shimon (@Shimon_Sano) February 20, 2021
ピアノの楽しみ方は人それぞれです。
うまくなりたい時にはそれ相応の練習の仕方があるし、
自分のために弾いて楽しみたい時には弾き方なんて気にしなくていい。
大切なことは『0か100かではなく、その中を移ろって良い』ということ。
楽しく上手くなっていけるバランスを自分の中で見つけよう😊
「こうしないといけない!」
「こうあらねばらならない!」
こういう意見はもちろんあって良いと思うのですが、伝え方をミスるととんでもなく炎上します。(私は何度も経験しています。笑)
そんな今までの経験を生かして、最近は
✔︎ 相手に共感しながら伝えたいことを伝える
という文章を心がけています。
自分の言いたいことは言っても良いけど、
意識的・無意識的にかかわらず「相手を見下したり傷つけてしまうような投稿になっていないか」は気をつけないといけないと思う。
「ピアノの楽しみ方は人それぞれ」を伝えるための文章
さて、本題に入りますが、
ピアノの楽しみ方は誰にも強要されるものではないと思います。
もちろん、本当にクラシックの道に進むのであれば守るべきルールが存在します。
『正しいこと』は無限にあるけど、『間違ったこと』というのはある程度決まっています。
クラシックを極めていくのであれば、『間違ったこと』をしないようにする必要があって、そのルールのようなものを学ぶ必要があります。
ただ、趣味としてピアノを弾いている人にそのルールを強要することなんてできません。
誰にもそんな権利はありません。
だから、否定しない形で「こういう音楽もあるよ」というのを提示していく必要があると私は思っています。
私が投稿した文章で大事なことは、
『0か100かではなく、その中を移ろって良い』
という部分。
これはアマチュアだろうとプロだろうと共感できるはずです。
プロであっても、完全に厳しい状態(100のまま)で過ごすことはできません。
適当にピアノを弾くことだってあるわけです。
アマチュアだって「0にしよう」思ってやっているわけではありません。
プロ・アマ関係なく、自分ができる範囲で音楽を楽しもうとしているはず。
それがわかれば、プロの人たちはあんなにも厳しい書き方をしなくて良いのにな、と思うのです。
本当にたくさんのクラシックの専門家たちが『厳しい意見』だけを書きすぎなのよ。
専門家たちも知って欲しいと思って書いていると思う。でも、その文章で、知ってほしい相手が近づいてこないようにしてどうする。笑
『影響力がどれくらいあるか』で発信の仕方が変わってきたかも
私がフォロワー3,000人くらいだった時は、どんな発言をしてもそんなに拡散されることがなかったんですよね。
だから、拡散されない悔しさもあって煽るような発言をした時代もありました。
余裕がなかったんですね。
でも、今は拡散されます。
拡散されるとわかっていたらある程度の責任感も生まれます。
だからこそ、発信するにはある程度の『共感力』が必要なんです。
『相手への優しさ』と言い換えることができるかもしれません。
これは情報発信者として活動している人に限らず、
Twitterをやっている人は、自分が投稿しようとしている文章を投稿する前に一度見直して、「誰かを無闇やたらに傷つけていないか」と自問してみたら良いかもしれません😊
※一応補足しておきますが、
あえて何も気にせずに多少相手を不快にするような発言したとしても、『価値観の違う人を寄せ付けないようにする』という効果も得られので、要は使い方が大切です。
根本的に大切なことは、「その文章を読む相手を想像して書く」ということです。
これができれば最低限の気遣いは出てくるはずです☺️