キングコング西野さんの近畿大学の卒業式でのスピーチが色々な視点から炎上してますが、
頼むから死刑にして欲しい。 pic.twitter.com/OleAZAdD06
— ちゃんすん (@changs00n) April 26, 2019
私が思うに、アンチというのは奴隷だと思っていて、
自分が不快だと思ってる人にわざわざ突っかかっていったり悪口を言って(その悪口は自分の脳を傷つけるにも関わらず)、自分の貴重な時間を使って嫌いな人を世の中に拡散することで結果的にその人に貢献しているんですよね。
ファンはこの大変な労働を労働と思わずに喜んでやってくれる人たちです。
私のような芸術家や情報発信者からすると、どちらも本当にありがたい存在。
ファンだけではなくアンチもありがたいと思ってから、かなり気が楽になりました。
そして、アンチの方々の意見もそういう考え方の人がいるんだな、面白いな、という視点で捉えられるようになりました。
前置きはここまでにして、上記のツイートを引用してタクラミックスさんという方の投稿がこちら。
キンコン西野さん、これほどとは思わなかった。これは洗脳セミナーやカルト団体でよく使われる「罪悪感を抱かせる事による支配術」の一つで、これを平然と使う人には絶対についていってはならない。こういう事を壇上から言う人が居たら、その場からすぐにでも立ち去るべき。そのぐらい危険。 https://t.co/lhBv1DbfXb
— タクラミックス (@takuramix) April 26, 2019
これに対して私は、キンコン西野さんや投稿の内容そのものには触れず、ある言葉だけを取り出しました。
https://twitter.com/Shimon_Sano/status/1121960650056462337
そう。「〜すべき」という言葉。
これって使われ方や時と場合にもよりますが、
ストレスを感じる言葉の一つだと思います。
ただ、相手が使った言葉に対して文句を言うのはめんどくさいし生産性もないので、
自分の視点を変えてしまいましょう。
その考え方のヒントとなるのが、有名なゲシュタルトの祈りです。
私は私のことをする。あなたはあなたのことをする。
私は、あなたの期待に応えるために生きている訳ではない。
そしてあなたも、私の期待に応えるために生きているわけではない。
私は私。あなたはあなた。
もしも偶然私たちの心が触れあうならばそれは素晴らしいことだ。
もし触れ合わなくても、それは仕方のないことだ。
【原文】
I do my thing, and you do your thing.
I am not in this world to live up to your expectations,And you are not in this world to live up to mine.
You are you, and I am I,
and if by the chance we find each other, it’s beautiful.
If not, it can’t be helped.
これは行動や考え方全てに当てはまります。
相手は相手、自分は自分。
感覚や行動の共有を相手に強制することなど意味がないし、
時間の無駄です。
他人を変えるのではなく、自分の視点を変えたり、自分と合う人を見つければいい。
もちろん、時と場合によっては相手に合わせないとやっていけないこともありますが、
日々の生活に置いては「相手は相手、自分は自分。」
という考え方で良いと思います。
「あなたはそう思ってるんですね。私はこう思っています。人ってそれぞれが違って面白いですね。」
合う部分だけ合えばそれでいい。
逆に、合わない部分が無いのはおかしい。
結婚生活や家族関係なら、話し合いでお互いの譲れるポイントを探していく必要性があるかもしれませんが、
赤の他人には干渉しなければ平和だと思いませんか?