趣味

LA LA LAND ラ・ラ・ランドを観た感想

私は評論が大っ嫌いだし、その分野にしか精通していない評論家気取りの人間を果てしなく下に見ている。

だが、ちょっとだけ、そのクソ野郎どもの仲間入りをさせて欲しい。


「そう思ってても言わなければいいじゃん!感動に水を差すな!」なんて言う人もいるかもしれないけど、今は表現の自由がある程度認められてるので書くことにする。

これから個人の感想を書くが、
たった1つの価値観が違うだけで人格を否定しない人だけ読んでください。

1つの価値観が違うだけで人そのものを否定する人間は即刻立ち去ってください。
レベルの低いやつはここから消えてくれ。

最初にまとめておくと、
「今までのミュージカルの歴史を自分の中から消すか、
この作品を曲を紹介するためのミュージックビデオだと思えば観れなくもない。」

と思った。

ラ・ラ・ランドを観た感想

賛否両論ですごいことになってる映画を日本に帰る飛行機の中で観ました!


「きっと感動する人はこういうところに感動したんだろうな」と想像し、
そういう人たちの立場に立つ努力をいくらしても、

自分の心には響かず、全く良い作品だとは思わなかった…。
(良いと思った所もあるけれど!)


「グランドピアノ 狙われた黒鍵 」の次くらいに最低で意味が分からない映画だった。
「セッション(Whiplash)」のラストシーンだけは個人的に大好きだったけれど、

どの作品においてもチャゼル監督の脚本はチグハグすぎる。

詰め込みたいことが沢山ありすぎるからなのか、
伝えたいことを人にわかってもらうための努力が圧倒的に足りない、と言わざるを得ない。



ここから先は自分が思ったことを書きますが、その前に

かなり面白い評論を発見しました。

菊池成孔のラ・ラ・ランド評


もうほとんど言ってくれてる、この評論。

なので、上の評論にも書いていないことや違う感じ方をした部分を書きます。

映画に対する感想と、映画に登場するキャラクターや出演者への感想がごちゃ混ぜになることをお許しください。

音楽が、ミュージカルとしてはダサすぎる

ミュージカルとしての音楽じゃない!

「ダサい」をテーマにしたエンターテインメントなのかと思わせるくらいダサい和声進行や音選びの繰り返し。

「音楽」としては良いんです!
「ミュージカルの音楽」としてどうなの?って話。

途中で出てくるジャズはかっこいいし、


もしかしたらあのダサい繰り返しが中毒的な良さを生んだのかもしれない。

 

何故、ミュージカルの音楽としてダサいか。


音楽の三大要素である、リズム・メロディー・ハーモニーというのは音1つ1つに全て入っているのですが、
ラ・ラ・ランドはリズムに偏りすぎ。

リズム:メロディー:ハーモニー=6:3:1
くらい。

これを作曲した人はハーモニーに対する感覚を削ぎ落とし過ぎなんです。
そして、演奏者もこのダサい曲でもハーモニーの色をもう少し表現してくれたら、こちらの受け取る印象も変わったかもしれない。



上の評論でこの映画をボロクソに酷評してる菊地成孔さんも”Another day of sun”(1番最初の車渋滞のシーンで流れる曲)は評価していたけれど、
自分としてはこれもイマイチピンとこなかった。

今まで観てきたミュージカル映画で得られたような感動が得られない。


映画の中で使われる他の曲もダサいおしゃれ感に溢れていて、

演者さんも深い感動がなく、
表面的なエネルギーと空元気で演じてる印象を受けた。



監督の「画面向こう側で観てる人たちはどうせこれくらいで感動するんやろ?気持ちええんやろ?」みたいな思考なのか、そもそも才能がないのか、

そういう歪んだものが演者さんにも伝わったのか、
自然体の本気ではなく、
商業的で不自然なエンターテインメントのように感じてしまった。

そういう種類のエンターテインメントなんだろう、と思い込ませるしかなかった。
色の扱いやカメラワークは面白いと思ったのですが…。


「聴いている人を表面的に感動させる演出ばかりに凝って、そもそも『クラシック音楽』のなんたるかを知らない指揮者がパフォーマンスのみで有名なオーケストラを指揮している」

みたいな作品だった。

ヒロインの顔が本能的に受け付けない

これはもう完全に個人的感覚なんですが、
エマ・ストーンが苦手なんです…最初に依頼されたエマ・ワトソンとの交渉がうまくいっていれば良かったのに。

エマ・ストーンの何が魅力なのか本当にわからない。

そして、表情を作るための顔の筋肉の動かし方が「表面上の技術」に見えてしまう。

不自然。

「演技をしている」ことが観ている人にバレたら興ざめ。
エマ・ストーンはまだ「演技」の枠から抜け出せていない部分があると思う。
ウディ・アレン作品の中の彼女にもそれを感じた。

一つの作品の全ての部分において
登場人物と自分を深く繋げるというのはかなり難しいことだと思うけれど、

きっと彼女は「演じている自分が好き」なだけで、まだそれ以上になっていない気がする。


「ピアニスト」止まりで「音楽家」になれていない演奏者のような感じ。
パフォーマンスで誤魔化して、音には何1つ深みがない、あの感じ。

恋愛が稚拙


自分の感覚としては、映画内での恋愛模様の描写はハショリすぎだし、
2人は干渉しすぎで稚拙だと思った。



2人の恋愛模様に感動した人たちの中には、
感動してない人たちに対して「そういう恋愛をした経験がないんでしょ。」と言っているのをTwitterで見かけたけど、

それはおそらく違うと思う。


そういう経験をしていても、今は成長しているから過去の幼い恋愛に対して深い心の痛みは感じないだけ。

あの恋愛模様に感動する人は、
過去の恋愛の痛みからまだ解放されていないか、
過去から学ばず今現在も同じようなことをしている自分が好きなんだと思う。

(きっと他にも感動した理由は沢山あるだろうし、自分の想像力が足りてないのはわかる。)

そして最後のシーン。

過去の後悔に浸る時間はある程度必要だと思うけど、
その行為の気持ちよさにハマってしまうと人生が勿体無い。

映画を観ている最中やその日だけ後悔に浸っているなら問題ないけど、
「感動した!」と言っている人の中には普段から後悔に浸る癖がある人が多い気がする。

前を向いて、今を生きた方が良いと思う。

言うのは簡単で実践できないのが、人間の愛おしさでもあるんだけど。笑
人間の不合理性は確実に存在するのでそれを否定することはもちろんしない。

その他


劇中のセリフの中で、

「あ、今良いこと言ったな。」ってのはあったんだけど忘れてしまった。

飛行機の中で観たのも良くなかったかもしれないので、今度はあえて劇場に観に行こうかな。

受け取り方は人それぞれだから、感動した人は本当に心から感動したと思うのですが、

自分としては「この作品は何を伝えたいのか」と想像することすら放棄してしまうくらいつまらない作品だった。


「星の王子さま」のように、

目には見えないものを心で感じられる人間だけが理解できて、感じられない人には全くピンとこない作品とは全く種類が違って

「ラ・ラ・ランド」は、

やりたいことを中途半端に取り入れたため浅はかで表面的になってしまって、全くピンとこない作品になっていると思う。


あっ!

大事なことを言い忘れていました!

飛行機内で英語(字幕なし)で観た後に、
日本語吹き替え版を最初の方だけ観てしまったのですが、

日本語吹替版というだけでクオリティーがダダ下がりなのはどの作品でも共通することだけど、
ラ・ラ・ランドの吹替版の声優は酷すぎた。
誰使ってるんだあれ。アレでプロなのか。


そもそも吹き替え版で観ること自体が本当に勿体無いことだと思うけど、
ラ・ラ・ランドの吹替版は作品の価値を無にするに等しいレベルの劣化版になってたので、
劇場でもし吹き替え版があっても観ないことをおすすめします。
フルハウスみたいに吹き替え版にすることでB級的な味が出る作品とは訳が違う。



以上、素人による感想でした!普段は感想なんて書かないのですが、あんなに不自然な映画は久しぶりに観たのでつい書いてしまった。

でも、あの作品で感動できる才能を持っている人を羨ましくも思う。
自分には無い才能だから。