意見

レッスン謝礼の渡し方について【ピン札は必要?】

もう一年くらい前になるか、Twitterでレッスン謝礼についての議論が盛り上がってました。

意見としては、

✔︎新札でちゃんとした封筒(茶封筒はNG)に入れるべき

✔︎ピン札でもシワ札でも,千円札でもいい。封筒もなんでもいいし、封筒なしでゲンナマでも良い。 「渡し忘れない。」 これが一番大事。

✔︎自分がシワシワなお札で茶封筒で渡されても気にならないけど、他の先生にそれをしたら失礼になる可能性があるので指摘はする。

大まかに分けてこの3つだったと思う。

私は先生としての立場なら現ナマで渡されてもいいけど、生徒としての立場で自分が渡すときは新札で封筒に入れて渡します。

この理由を今日は解説します。

ピン札謝礼は必要か?

上の3つの意見で争点となったのは、礼儀の話。

どういう行為に関して「礼儀」だと思うか思わないかは個人の価値観によって違うので今日は触れないが、

「行為(何をするか)」だけを抜き取って礼儀かどうかを判断するのは考えが浅い、と個人的には思っている。

形から入って礼儀を学ぶ、というのは昔からある方法で確かに理解できる。

ただ、今回の場合、
礼儀を強要させることにどれだけのメリットがあるのか考えないといけない。

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感謝か、義務か

「新札にする」ということは生徒さんや生徒さんの保護者がわざわざ銀行に行って新札に替えて来ているということだ。

これが生徒さんの心からの感謝の気持ちでやっているなら素晴らしいと思う。

でも、先生への感謝の気持ちよりも義務感の方が強いならやる必要はないと思う。

もしくは新札に替える時間をより有意義なことに使えるのならば、そちらに時間を割くべき。

他人に時間を使わせることに罪悪感はないか

先生側の視点で見てみよう。

先生は『レッスンをして、そのお礼としてお金をもらう』

合理的に考えて、お金をもらうことですでにその関係は完了である。

何が言いたいかというと、
封筒を用意させたり新札を用意させたり、というのは生徒さんの時間を奪っているということだ。
その意識がない先生は残念ながら価値観が古い。

「自分の時代はそうやってたから」という無意味な理由づけはやめてほしい。

もう一度言う。

「新札を強要する」というのは他人の時間(時間は有限な命そのもの)を奪っているということだ。

あなたにその認識があるだろうか?

ちょっとブレイク:レッスン謝礼を払わないのは論外

私も過去に、
「レッスン謝礼を払えない」とか「安くしてください」って人がいた。

これは流石におかしいと思う。
なぜなら最初からレッスン料金に関して了承した上でレッスンを受けにきたわけだから。

レッスンを受けたいけどお金がないっていう学生には安くレッスンすることはある。
その熱意が嬉しいから。

でも、どんな人だろうと事前の連絡でレッスン料金について話していたにも関わらず
前日や当日になってレッスン料金を安くしてくれ、というのはありえない。

そういう人にはもう二度と関わらないことにしている。

なぜなら、上にも書いた
「レッスンをして、そのお礼としてお金をもらう」という前提すら守られなかったわけだから。

その場合、生徒が先生の時間と能力を奪っていることになる。

私が体験した中で一番酷かったのは、

レッスンのためだけに札幌から東京にきた時の話。

✔︎私が東京についてからレッスン料金を値切ってきた

✔︎「レッスンの中で連弾をしてその演奏を録音したい」ということで事前に練習する時間を取らせた。(その人は初見で良いと言ったが、録音するとなると練習していかないといけない)

✔︎レンタル室の料金は私が先に払っておいて、生徒さんからはレッスン料金とレンタル室料金をもらう約束だったはずが、
家に帰って封筒を開けてみると値切られたレッスン料金しか入っておらず、
レンタル室の料金は結果的に私が払ったことになった。

これに関して「そんなの断ればいいじゃん!」と思われるかもしれないが、
このとき私はレッスンの仕事のためだけに東京にきていたのでお金を得るために働かないといけなかった。

今なら秒で断るし、こういう人とはもう二度と関わらないと決めている。
奪う人間(テイカー)とは付き合わないに限る。

レッスン代を持ってきたのに払うのを忘れちゃった場合

先生の方から「レッスン代は?」って聞くのは結構辛いと思う。
私は高校の頃に一度だけやってしまったことがある。

東京までレッスンを受けに行って、
レッスンが楽しくてそのまま「ありがとうございましたー!」と言って帰ってきてしまったのだ。

まじで焦った。そのときは謝り倒した。

対処法としては、
レッスンが始まる前に渡してしまうこと。

新札を渡すことの効果

さて、今までは新札を強要することに対して反対意見を言ってきたが、
一方で新札を渡すことによってどのような効果があるのか見てみよう。

これは『ユダヤ人大富豪の教え』からの引用ですが、

私はこの文章を読んでから、自分は新札を使う、もしくは渡そうと思った。

感情的にも気持ちがいい

私が新札を謝礼として渡すのは、上記以外の理由として
「新札を渡す自分自身も、もらった人も気持ちよくなれるから」。

渡す側は気持ちよく渡しているのだから、渡される側は「新札に替える時間を使ってもらって申し訳ない」と思う必要もない。

新札を渡されて当たり前だと思ってしまうとしたらそれは問題だが、
渡された側もありがたさを感じられるのであれば良いと思う。

これは新札を渡す側が相手に対してありがたみを感じろ!と言っている訳ではない。

なぜなら、渡した側としては新札を渡した時点でもう気持ちよさを感じているからだ。

そのあとどう思われようとこちらには関係がない。相手の問題である。

指摘はする派

指摘をするのは良いことだと思う。

指摘をするときに私が上で言ったような理由を含めて話してみたらどうだろう。

あと、個人的には新札でちゃんとした封筒じゃないと失礼だと思う先生がいるとしたら、
レッスンを受ける前に最初に提示してほしいと思う。

でも、それもダサいよなぁ。

「私のレッスンでは茶封筒ではなくちゃんとした封筒に新札を入れて渡してください」って自分で言うのってダサい。笑

それって「私はレッスンの対価として料金はきっちりいただきますが、儀式的な礼儀としてあなたの時間(命)も奪います」って言ってるようなものだから。

もし私が生徒さんに「新札で持ってくるべきですか?」と聞かれたら

一番最初に書いたように、
どんな形でも渡してくれたらそれでいいけど、私が誰かにお金を渡すときは新札にするってことを理由と共に伝えると思う。

「私はお金を感謝と愛情の表現としてスタートさせたいから新札を渡すけど、別にどういう形で渡されようと気にしないよ」と。

義務としてやるならやらない方が良い。
そして、感謝や愛情によって新札を渡すなら、渡す方も渡される方も気持ちがいい。