こんにちは、しもんです!
先日、「ストリートピアノを承認欲求を満たす道具に使うな」みたいなツイートをみたのですが、私はこのツイートちゃんちゃらおかしいと思っています。
なぜならピアノを人前で弾くこと自体が承認欲求だからです。
ストリートピアノだから…とか関係ないのです。
承認欲求というのは人間が根元的に持っている欲求の一つです。
みんな人に見て欲しい、認められたいと思っています。
まず、承認欲求を否定する人は自分が承認欲求を持っていること、そしてピアノを人前で弾くことであなた自身が承認欲求を満たしていることを認めることから始めましょう。
ストリートピアノを弾いているYouTuberに対して「自分の宣伝の為にしか使ってないのが見えて嫌だ」みたいな意見をみたのですが、ストリートピアノを弾こうがコンサートでピアノを弾こうが、それは『承認欲求』以外のなにものでもない。
Twitterだってみんな承認欲求のためにやってる。
— 佐野 主聞 / ピアニスト×ブログ×YouTube (@Shimon_Sano) September 8, 2020
ストリートピアノを弾いているYouTuberに対して「自分の宣伝の為にしか使ってないのが見えて嫌だ」みたいな意見をみたのですが、ストリートピアノを弾こうがコンサートでピアノを弾こうが、それは『承認欲求』以外のなにものでもない。
Twitterだってみんな承認欲求のためにやってる。
「今、ここに、私がいるよ!」って表現するの、何が悪いの?
「ピアノを承認欲求の道具として使って欲しくない」みたいな人は、まずはあなたが承認欲求のためにピアノを弾いていることを自覚しないといけない。
あなたが生きている証をピアノで表現しているんだ!
それは立派なことだ。
自信を持て!— 佐野 主聞 / ピアニスト×ブログ×YouTube (@Shimon_Sano) September 8, 2020
「今、ここに、私がいるよ!」って表現するの、何が悪いの?
「ピアノを承認欲求の道具として使って欲しくない」みたいな人は、まずはあなたが承認欲求のためにピアノを弾いていることを自覚しないといけない。
あなたが生きている証をピアノで表現しているんだ!
それは立派なことだ。
自信を持て!
承認欲求を満たすことは悪いことじゃない
承認欲求を満たすこと=悪、みたいに勘違いしている人が多くないですか?
私は日本にいるとそういう印象を受けます。
おそらくそれは「自分だって承認欲求満たしたくて我慢してるのに、素直に承認欲求満たしにいってる人間が羨ましい!」という僻みからくるのだと思います。
ただの僻みです。
「僻んでいるわけではない!」と反論する人は、ピアノを弾くことをもっと高尚なものだと思っていますか?
確かに、あなたが「承認欲求の為に弾いているわけではない!」と言いたい気持ちはわかります。
でもそれは、あなたが一生誰にもピアノを弾いていることを言わず、誰にも聴かせずに過ごして始めて言えることです。
あなた自身がピアノを弾いていることを他の誰かが知っている時点で、承認欲求を満たす為にピアノを弾いていることになるんです。残念ながら。
なぜなら本当に承認欲求がないのなら、あなたがピアノを弾いていること自体誰にも知られていないはずなので。
あなたは承認欲求を持っています。それを認めてください。
それは悪いことではありません。とても健全なことです。
クラシックとして良いか悪いか…はまた別の話
確かに、クラシックを使って自分を表現しすぎるとクラシックが歪んでいく…というのはあります。
しかし、それはあまりにもレベルの高いことですし、ストリートピアノという文化において守らないといけないものではありません。
あなたが嫌なら聴かなければ良いのです。
承認欲求を自覚して自信を持て!
ツイートにも書きましたが、
あなたがピアノを弾くことであなたが生きている証を表現しているんです!
それはとても立派なことだからもっと自信を持ちましょう。
自分が承認欲求を持っていることを認めましょう!