こんにちは、しもんです!
「自分が生きている意味とか価値ってあるんだろうか」
って思う人もたくさんいると思うのですが、
人生って自分が生きている意味を探す冒険みたいなところがありますよね。
楽しいと思えることをやったらそれで良いと思います。
そして、最終的には他者貢献に行き着くんですよね!
成功して幸せを感じている人はみんな他者貢献の精神を持っています。
あなたは存在しているだけで価値がある
「あなたは存在しているだけで価値がある」というのは、
わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
(イザヤ43:4)
という聖書の言葉からきているのですが、
キリスト教の考え方で言うなら人間って生きてるだけで尊いんですよね。
知っている方も多いと思うのですが、私はクリスチャンホームで生まれ育ったクリスチャンです。「主聞」という名前は「主イエスキリストに聞く」と書きます。
ちなみに私が「尊い」を「たっとい」と読むのも聖書の影響です。笑
(聖書で「尊い」のふりがなが「たっとい」であるため。)
日本だと「宗教」というとものすごく変な目で見られることが多いのですが、「人智の及ばない何か」の存在を信じることで死への恐怖とか日頃の悩みが軽減されるのはかなり効果が高いと思います。
もし、「宗教」と聞いただけで相手を敬遠してしまう人はシンプルに勉強不足&器不足なので、宗教や哲学の勉強をしたり未知のものを受け入れる自分の器を育てる必要があると思います。
未知のものを拒絶するのは人間の性(さが)です。
しかし、それは自分が無知であるから拒絶してしまうんですよね。
自分の無知によって何かを否定してしまうのは勿体ないです。
死にたくなったら
どんな手段でも良いので誰かに話しましょう。
自分で自分の命を断つ人は、誰にも話せないんですよね。
もし何かしらの形で自分のことを話せるであれば、あなたは大丈夫です。
私のエピソード
私は自己肯定感がめちゃくちゃ高いのですが、その原因はキリスト教とかあまり関係なく、20代のときに付き合った彼女の存在が大きいです。
それまで何人かと付き合ったことはあっても『無条件で愛されている感覚』はなかったのですが、その時付き合った人のおかげで人生で初めて「家族以外の人に本気で愛される」という経験をしたと思います。
そのおかげで自分という存在を自分自身が受け入れることができました。
人から愛される経験って本当に大切だなぁと思う。
別れても、自分を変える大きな経験として今の自分を形作っている。
鬱っぽくなったら
まずは、起きてから1時間以内に外を散歩しましょう。(朝散歩)
そして、運動や筋トレ。
さらに瞑想。
・散歩
・運動
・瞑想
この3つで解決します。
(これは科学的に実証されています。)
人は他者貢献に幸せを感じる
人生で一番大事なのは自分ですよね。
まずは優先順位の一番は自分であるべきです。
私も自分がやりたいことをやっています。
ただ、私の場合は自分がやりたいことが自然と他の人にとって価値があることになっているのです。
もしあなたが何かしらの形で誰かに価値を与えているならその事実をちゃんと受け入れましょう。
そして、もし「自分は他人に何も与えてないかもしれない」と思ったとしても、
あなたは存在しているだけで尊いので大丈夫です。
生きているだけで価値があります。