こんにちは、しもんです!
ブログの毎日更新が650日を超えたので(?)、久しぶりに真面目なことを書きます!笑
なにかに対して否定的な意見を持ったときに、
『相手の考えを受け入れた上で自分の意見を言う』という形で発信することで無駄に敵を作らずに済みます。
気持ちは痛いほどわかるけど、クラシック界の人たちは “クラシックじゃないクラシックの演奏” を否定しすぎる傾向にある。
音楽は戦争じゃない。
— 佐野 主聞 / Shimon (@Shimon_Sano) February 5, 2021
なにかに対して否定的な意見を持ったときに、
『相手の考えを受け入れた上で自分の意見を言う』という形で発信することで無駄に敵を作らずに済みます。
気持ちは痛いほどわかるけど、クラシック界の人たちは “クラシックじゃないクラシックの演奏” を否定しすぎる傾向にある。
音楽は戦争じゃない。
これは完全に過去の自分に言いたいことです。
そして今、2〜3年前の私と同じように『クラシックではないクラシックの演奏をしている人を批判』しているクラシック業界の人たちにも言いたいことです。
『クラシックの演奏』にはある程度、『あるべき姿』がある。
そんなことはわかった上で私は活動をしている。
クラシックの人たちが誰かの演奏について否定的な意見をいうときに私が思うのは、
ってことです。
最低でも、ネットで自分の演奏動画を投稿しましょう。
そうしないと何も説得力がない。
5〜6年前のTwitterならまだしも、今の時代は文章だけで嘆いても仕方ないのだ。
自分が本物であると思うなら、本物の演奏をみせるしかない。ネットでも。
ストリートピアノが流行りに流行って、承認欲求のためにクラシックを使う人は増えた。
でも、それを私たちクラシックの音楽家が否定することはできないのだ。
「承認欲求のためじゃない」って自分で思って活動していくのはあなたの勝手だし、承認欲求で弾くのも相手の勝手だ。
(そもそも承認欲求が0%の人がピアノを弾くことはあり得ない…という議論は今は置いとくことにする。)
ピアノを弾いて「生きる」ということを表現している人たちを否定する権利なんて私たちにはない。
ただ、淡々と自分がクラシックで表現したい『真髄だと思っているもの』を表現していればいい。
もちろん、クラシックの人たちの気持ちは痛いほどわかるんだよ。
私はそっちの立場だから。
でも、他人の演奏や、あるべき姿を表現していない演奏に対して文句を言うのであれば他にやることがあるはず。
まずは相手を受け入れてからがスタートです。