先日こういうツイートをしました。
ふと思い出した。
浜松国際ピアノコンクールを受けた時、本選後にフェアウェルパーティーがあって、
ピアニストと審査員とコンクール関係者で大いに盛り上がるのですが、審査員のマティアス・キルシュネライトさんだけは講評用紙を持っていて、参加者たちに聞かれたら講評を伝えていた。
(続く)— 佐野 主聞 / ピアニスト×ブログ×YouTube (@Shimon_Sano) May 17, 2019
ふと思い出した。
浜松国際ピアノコンクールを受けた時、
本選後にフェアウェルパーティーがあって、
ピアニストと審査員とコンクール関係者で大いに盛り上がるのですが、
審査員のマティアス・キルシュネライトさんだけは講評用紙を持っていて、
参加者たちに聞かれたら講評を伝えていた。
まずその行為自体がコンクール参加者としては嬉しくてありがたかった。
そして講評の伝え方も
「Shimon、あなたは音楽に誠実に向き合っているのがわかった。”音楽”をしていた.私はあなたが何故落ちたのかわからない. だけど、言うことがあるとすれば…」
みたいに、褒めてからアドバイスしてくれた。
それでマティアス・キルシュネライトさんに対する好意は爆上がりだったし、
「この人は本当に若いピアニストを応援してくれる人だな」と思った。
普通、みんなでお酒を飲んで歓談する所に講評用紙を持ってくるなんて(片手が塞がるし)できないよね。
本当にありがたい存在だったなぁあの時。
私が尊敬するピアノの先生や音楽家って沢山いるのですが、
「若い音楽家を応援している」という気持ちを行動で表してくれる人って
本当に貴重でありがたいですよね。
私が関わってきた先生方は本当に行動でそれを示してくれて、
返せないほどの恩があるわけですが、
コンクールのフェアウェルパーティーという、
先生方も仕事が終わって飲んで楽しく喋りたい場所で、
講評用紙を持って生徒が来るのを待っているってすごすぎない?
多分、私が審査員だったらこの行動できない。
だって、手ぶらで飲んで食べて喋りたいもん。
だけど、もしこういう状況や似たようなことがこれからの人生あるとしたら、
彼を見習いたいと心から思った。
実は彼の演奏は聴いたことがなかったし、どんなレッスンをするのかいまだに知らないけれど、
彼がやった行為一つだけで、彼が人としての信頼を得たのは確かなことです。
あの時、参加者はもちろん、
他の審査員の方々もキルシュネライト先生の行動に対して感動してました。
普段の佇まい
こういう行為って、普段から若い音楽家のことを考えたり、
他人が喜ぶことに意識が行かないと思いつかないし、やろうとしないと思うんです。
きっとキルシュネライト先生は普段から、
生徒に過剰に干渉はしないけどちゃんと見守るタイプの先生なのかな、と思いました。
ピアニストとしてもピアノ指導者としても、
普段からの佇まいって公の場で出ますよね。
人前に出るときだけ繕っても、
意外とバレる。
目の色とか表情、オーラにそれが出る。
なので、私も普段の生活から佇まいを意識していきます。