こんにちは、しもんです!
今日は私の体験から、
ということについて話します。
ちょっと自己顕示欲の強すぎる文章になってしまうかもしれません。
成長は遅くていい
演奏家は、
『音楽的な成長や成熟(実力)』と『社会的に音楽家として認められること(影響力)』がほとんど別物であることを認識する必要があると思う。もちろん重なる部分も多々あるけど、ほとんど重ならないと考えておいた方が道を誤らずにすむ。
これは割と大切な考え方だと思います😌— 佐野 主聞 / Shimon (@Shimon_Sano) March 27, 2021
演奏家は、
『音楽的な成長や成熟(実力)』と『社会的に音楽家として認められること(影響力)』がほとんど別物であることを認識する必要があると思う。
もちろん重なる部分も多々あるけど、ほとんど重ならないと考えておいた方が道を誤らずにすむ。
これは割と大切な考え方だと思います😌
若くして実力を社会に認められた人は、その実力が音楽的に正しいと錯覚してしまう可能性があります。
でも実はその実力は “コンクールで認められただけ” にすぎないことも多いのが事実です。
(コンクールで入賞すること自体は素晴らしいことであることは大前提として)
コンクールで入賞しようが芸大に受かろうが、それ自体がその人の音楽的な素晴らしさを保証するものではありません。
それがクラシックの難しいところでもあるのですが、社会的に認められたとしてもその”社会”にいる人たちも音楽的な耳を持っていないことが多々あるのです。
音楽的な耳を持っていない人に認められても、(それは影響力としては大いに活用できますが)音楽家としての保証されたわけではないと思っておいた方が音楽家としての成長につながると思います。
私の体験
私は、芸大に入ってきた人たちの中にもコンクールでミスをしないだけの演奏をする人たちがたくさんいるのを見てきました。
巧いだけで心がない演奏をする人たち。
たくさんレパートリーを持っていても、何も感動を与えない演奏をする人たち。
その人たちは、リズムとメロディーとハーモニーを感じる過程の大事な部分をすっ飛ばして弾けるようになってしまったのです。
私はレパートリーは決して多くありません。
ピアノコンチェルトだって10曲くらいしか弾いたことありません。
でも、音楽の感じ方が深いためにみんなが時間がかからないようなところでものすごく時間をかけてきたのです。
私は学生時代からずっと不思議でした。
と。
彼らは感じていないというより、音楽を知らないのです。
知らないからこそ弾けた。
私は音楽を知っているからこそ時間がかかった。
1つの曲を仕上げる時間は人によって様々ですが、音楽がわかっているからこそ仕上がりに時間がかかることはあるので、成長が遅いからといって自己嫌悪に陥る必要はありません😊
人それぞれ自分ができることを淡々とやるだけです!