エッセイ

【ひとりごと】幼年期の理不尽体験

こんにちは、しもんです!

人生において理不尽を経験するのは貴重だと思うけど、自分と関わる相手に理不尽は経験させたくないですよね。

私は小さい頃に責任をなすりつけられて怒られた経験があって、自分の無力を知りました。

幼年期の理不尽体験

当時はまだ3〜4歳だった自分。
(もうその頃から『死』について考えているような少年でした笑)

とある日、Nくんのおうちに遊びに行きました。

Nくんは4人兄弟で佐野家とも家族ぐるみの付き合いをしていました。

遊んでいる最中に、「しもん、ちょっとこの花の茎のとこ触ってみて!」と言われたので、言われるがままにちょっと触ったら茎が折れたんです。

「ん?おかしいぞ…」

とは思ったものの、N君兄弟たちが「しもんが折ったー!これママが大事にしてたやつなんだよー!ママに言ってやろうっと!」と騒いだんですよね。

「おれじゃないよー!」と言ったものの、向こうは兄弟でハメようとしてきています。どうしようもありません。

さて、理不尽なのはここからです。

 

家に帰った夜、実際にNくんの親から私の親に連絡がありました。

私は「自分がやっていない!」と説明するも親から嘘をついていると決めつけられ、謝るまでその場を動けない状態になりました。

これは当時の私の親が好んでやっていた手法で、『その場でじっと子供が謝るのを待つ』というものでした。
本当に悪いことをしたのをその目で見ているならまだしも、見ていないことに関して子供の説明には聞く耳を持たず、相手の親と子供を信じたのです。
私は子供の自分を信じない親に絶望しました。

 

私は1時間以上粘りましたが、怒られて泣いて疲れたこともあって最終的に謝ってしまったんですね。

そのときに、世界が変わってしまった気がします。無力である自分を受け入れてしまったんですね。
あそこは絶対に謝ってはいけなかった。

でも、3〜4歳の子供がどうやって論理的に自分の無実を証明できたでしょうか。

 

…そのことがあってからN君の家に遊びにいくことはなくなりました。

集団で一人を嵌めて自分の罪を逃れようとする人間なんて最低です。

 

でも、これって世の中で毎日のように行われていますよね。

「自分が被害者にならないためには加害者になってしまえばいい。
大勢いる攻撃側に回ってしまえば自分が叩かれることもないし、優越感を感じることができる。」

こんな考えで短絡的にリアルでもネットでも攻撃を繰り返している人がいますが、それをやったとしても残るものは自分へのダメージと虚無感だけです。

ただ、今の日本の現状としては知名度のある人のゴシップや暴露などを扱っている配信者が一番人気を集めています。

みんな人の不幸が大好きすぎるんですよね。

そういうのを見てしまうことはあると思うけど、どうか加担せずに自分の人生を生きてほしい。自分とは全く関係ない他人の人生のことで盛り上がってどうする。

自分の人生を楽しめよ。