「楽譜を読む」「楽譜通り弾く」ってどういうことなんだろう。
この疑問に答える前提としてわかって欲しいことは、
人が奏でる楽器の中で、
最も人の心に届く楽器が何なのか、ということです。
それは、
「人の声 / 歌」です。
何故かと言うと、
「声」という楽器は身体の中に存るため、
他のどの楽器よりも自由に奏でることができるからです。
ということは、
ピアノを弾く時も「歌うように、人の声のように」奏でることができれば、
聴いている人の心に届く演奏になります。
そして更に言えば、自分の頭の中で鳴っている音楽を、そのままピアノで表現できれば一番素晴らしいですよね!
音楽的に楽譜を読む、とは
「楽譜を読む」という作業は、拍子や形式、調性、時代背景、音型の意味 etc.
様々なことを考えなければいけない複雑な作業ですが、
今日はそれらをできるだけ取っ払って、
まずは音自体が本来持っている意味
から楽譜を読む方法を書きます。
これから書くことをまとめると、
「歌えば(頭の中で鳴らせば)全て解決する」
ということです。
そのため、今日はメロディーについて重点的に書きます。
音楽を作る三大要素
音楽を作る3つの大きな要素、
それは、
「リズム」「メロディー」「ハーモニー」。
それらを誤解を恐れずに言い換えると、
・リズム = 音の長さ
・メロディー = 音の高さ
・ハーモニー = 音の色
となります。この3つを用いて、音のテンションやエネルギーを表現していきます。
そして、
リズム → メロディー → ハーモニーの順で、
「時代が古い / 伝えられることが単純」
↓
「時代が新しい / 伝えられることが複雑」
になります。
リズム
「リズムが変わる」ということは「音の長さが変わる」ということです。
リズムを声に出そうとすると、
その音が長ければ長いほど、声に出すために息を吸わなければなりません。
ということは、長い音には吸った分の息がエネルギーとして生じるわけです。
長い音ほど歌うときには自然と気持ちが入り、人間の感情の高まりが表現されます。
メロディー
「メロディーが変わる」ということは「音の高さが変わる」ということです。
よくピアノの先生に「メロディーをもっと歌いなさい!」と言われませんか?
だけど、歌うとは具体的に何なのか。
「歌う」というのは、
「音と音の間(=音の幅 =音程 )を歌う」
ということです。
歌う時、
音が高くなればなるほど、そこには感情の高まりが生まれます。
ドレミファソファミレド〜♪
と実際に歌ってみると、
音程が上がれば声も自然と大きくなり、下がれば声が小さくなるはずです。
声に出して歌えない方がいたとしたら、頭の中で鳴らしてみてください。
その時に、
「ソ」の音に向けて感情が高まるはずです。感情が高まるから自然と音量も上がっていきます。
逆に、ド〜ソに向けて音量を小さくしていって、ソ〜ドに向けて音量を大きくしていったら、
ゾッとするほど気持ち悪いと思います。笑
ここで大事なのは、
音量(強弱)というのは感情と共に自然とついてくる
ということです。
感情がなくて強弱だけで表現することはできません。それは歌っていることにならないから。
なにか気持ちを込めたいから強弱が変わるのです。
さて、
「ドレミファソファミレド〜♪」というのは、
全てが2度の音程の連なりですが、
音程(音の幅)が広いほど、歌った時に時間がかかります。
実際に、「ド〜レ〜♪」と2度の音程を歌って、
その後に「ド〜ラ〜♪」と6度の音程を歌ってみてください。
6度の音程の方が自然と時間がかかるはずです。
2度を歌う時と同じテンション・エネルギーで6度は歌えないことがわかると思います。
よく、どのような音程でも同じようなテンション、同じようなエネルギーで弾いている人がいるのですが、
ピアノというのは残念ながら不器用な楽器で、
出せる音の最小単位が1/2音(半音)です。
でも実際に人が歌えば、その音程をグラデーションのように無限に出せますよね。
ということは、
音程をちゃんと歌おうとすると、その分の時間がかかるはずです。
それなのに、ピアノは鍵盤を押せば音が鳴ってしまい、
「音楽的に歌ってなくてもピアノだと弾けてしまう」ため、
歌うことを考えると非常に不器用な楽器なのです。
機械的な演奏が多くなってしまうのもこのためです。
自分が歌ったものをそのままピアノで表現することを試みてください。
その時にかかる時間は自然なものです。
そして、
楽譜に書かれているものは、人の言葉・人の感情です。
例えば、
「あなたと出会い私は変わった世界がこんなに美しいなんて今まで知らなかった」
という文章(言葉)があったすると、
どこを区切って、どこで息をするか。
もしくは、どこで一瞬の間をとるか。
それは人それぞれ、時と場合によっても違うと思います。
スラーというのは文章で言うところの「、」や「。」であったり、
実際に言葉にした時に生まれる「間(ま)」や「息をする場所」です。
例えば、
「あなたと出会い、私は変わった。世界がこんなに美しいなんて…! 今まで知らなかった…。」
とすることもできるし、同じ区切り方でも話す速さを変えることができるので、可能性は無限にあります。
ただ、言葉と言葉の間をとりすぎたり、逆に急ぎすぎると、
文章全体の意味が伝わりにくくなってしまいます。
よく先生に「in tempoで弾きなさい」と言われるかもしれません。
なぜそう言われるかというと、
文章の意味が充分に伝わっていないからです。
そして、一定のテンポ感で弾くことで聴く人は安心するからです。
しかしここで、「in tempoで弾きなさい」と教える先生方にわかってほしい大事なことが一つあります。
それは、
人の心臓が時と場合によって脈拍・鼓動を変えていくのと同じで、音楽の中の鼓動も変わっていくのが自然、ということ。
なぜなら、音楽を作って奏でるのも人間なのだから。
” in tempo ” という言葉の本当の意味を無視して、
メトロノームに完全に支配されたテンポで弾くのは、本来あるべき人間の姿からかけ離れてしまう可能性があるので気をつけてください。
さて、だいぶ話が逸れましたが、
リズムとメロディーの例を示すために、
便宜上、ショパンのノクターンを使います。
1小節目の右手を見てください。
右手にかかっている1小節目のスラーの中で「長い音」・「高い音」はどこでしょう。
一拍目の「ソ」です。
一番長い音(付点4分音符+8分音符)でもあるし、同時に一番高い音でもあります。
ということは、
リズムから考えても、メロディーから考えても、
「ソ」の音が一番多くエネルギーを持っていることがわかります。
更に、
アウフタクトの「シ♭」〜 1拍目の「ソ」には6度の音程を歌う分のエネルギー(感情の高まり)と時間が必要で、
あとはゆらめきながら主音(ミ♭)までの3度分のエネルギーが自然と減少していくのですが、
主音(ミ♭)の前に出てくる「ファ」は、このスラーの中で2番目に長くて高い音なのでそれ相応のエネルギーが生まれます。そこまでが一つのスラーでかかれているので、
一つの呼吸で歌いますよね。
ということは、ピアノで弾くときにも最初のシ♭を弾く前に、
スラーの終わりまでに必要な息・エネルギーを想定して準備して、初めて歌うことができます。そう考えると、自然と息を吸う場所がわかると思います。
もし、ピアノを弾いている時に生きるために必要な呼吸だけをしているとしたら、それは音楽には関係ない呼吸なので、
ほんの少しでも音楽的な呼吸を意識するとメロディーの歌い方が劇的に変わるはずです。
ハーモニー
ハーモニーは一番複雑で、リズムやメロディーでは表現できなかった微妙な心理や色まで表現できるのですが、
作曲家によっても、その曲によっても、その曲の一つ一つの箇所によっても様々で、
一つのハーモニーを一つの意味や感情に特定することは不可能です。
しかし、その代表的な機能を説明することはできます。
T(トニック)
D(ドミナント)
S(サブドミナント)
全てのハーモニーはトニック、ドミナント、サブドミナントで表すことができて、
その代表例が
トニック(T)→主和音・1度(安定している)→緩和
ドミナント(D)→属和音・5度(だいぶ不安定)→緊張
サブドミナント(S)→下属和音・4度(ちょっと不安定)→緊張
緊張と緩和の作用があるのですが、この「緊張」「緩和」という言葉だとイメージしにくいと思います。
「ドミナントとサブドミナントはテンションが高い!」くらいに思っていてください。
ドミナントとサブドミナントは安定していないので、安定しているトニックに行きたいというエネルギーを持っています。
〜ここから下の文章は読まなくても大丈夫です。笑〜
「不安定なものは安定したがる」
これどこかで聞いたことがありませんか?
そうです、
高校一年生の化学の授業で習った原子です。(唐突でごめんなさい。笑)
自然界に存在するあらゆるものは、安定したがります。
例えば原子番号1番の水素。
水素原子Hのままでは安定しないので、
もう一つの水素原子Hとくっついて、水素分子H2
になりますよね。
なぜなら自然界では水素原子Hの状態では存在できず、
水素分子H2になって初めて存在できるからです。
サブドミナントとドミナントも安定していないので、
安定するためにトニックとくっつきたがります。
もちろん原子とは違って、安定しなくても存在はできますが、不自然で違和感があると考えてください。
サブドミナント・ドミナント → トニック
これが一つのセットです。
そこで大事なのは、
曲の中でハーモニーをどう感じるか。
例えば、
D→Tが表現するものは、
「安心」であったり「勝利」であったり「悟り」であったりするわけですが、
頭の中でハーモニーを鳴らしたときに「どんなイメージ・どんな感情が湧くか」を考える・感じることが必要です。
ただ、もっと大事なのは
「音はそこに存在しているだけで美しい。」
という感覚。
世の中にはその存在だけで絶対的な美を感じるものってありますよね。
私にとっては、
水平線に沈む夕陽、稲妻、炎のゆらめき、寄せては返す波、水面に落ちる雫、木漏れ日、樹皮や花びらの形、苔の色、猫の肉球(…笑)etc.
自然界に存在する全てです。
そして、
楽譜に書いてある全ての音は、作曲家の手を離れて、
その絶対的な美を持つ特別な存在になりうると私は考えます。
もちろん、 人間はその絶対的な美を完璧に表現することはできません。
絶対的な美というのは、そもそもが人間の想像を遥かに超えていて、その全てを説明することなどできないからです。
完璧に表現することができないからこそ、ずっと追い求めていける。
そして、音楽に愛されたいと思いながら音楽を愛して追い求めて行くと、
ある時
自分は最初から音楽に愛されていた
という事実に気付く時がきます。
…客観的事実からすべてを説明したかったのに、かなり主観が入った上に話が脱線してしまいましたが(笑)、
ハーモニーそれぞれに完璧な意味を見つけることができなかったとしても、
それらの音が特別な存在であることを意識してみてください。
当たり前のように過ごしているこの日常が、実は奇跡の連続であるのと同じように。
まとめ
音楽は生きています。
大事なことは、
音は一つ一つが命を持っていて、
その命を次の音に渡している、伝えている、ということです。
今日書いたことは、
本当に基本中の基本、音楽の根本的な考え方・感じ方です。
表現できるできないは別として、
この基本をわかっていない人が多いと感じたので(特にリズムとメロディーについて)、この記事を書きました。
音楽家になりたい方、自分はまだ音楽から愛されていないと思っている方の役に立てれば幸いです。
最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました!!
追記
実はこの文章を書くまえに書いた文章があります。
「『音楽的に楽譜を読む方法』を書くにあたって」という文章なのですが、
それを追記としてこちらに載せます。
音楽的に楽譜を読む方法、を書くにあたって
日々、文章を書くにあたって感じていることは、
文字だけで説明するのは相当難しいということです。
「直接会って言葉で説明して演奏で示す」ことは可能ですが文字では限界があります。
多少なりとも音楽的な楽譜の読み方をわかっている人は「うん、わかるわかる!」という風に読み進められると思いますが、
私の拙い文章だけでは誤解を生むのは目に見えているので、今回書くことを鵜呑みにしないでいただけるとありがたいです。
自分で考えて確かめてください。
さて、
私にとっての「音楽の先生」は周りの友人であったり、
大音楽家たちが残してくれた演奏であったり、
自然界に存在する音でした。
決してその時習っているピアノの先生だけが「音楽の先生」ではありません。
もちろんピアノの先生が教えてくれたことは計り知れません。
しかし、自分に学びを与えてくれるものはそこらじゅうに存在しています。
ただただ小さな頃から「これは良いな、美しいな、どうやったらこの音が出せるんだろう。」という驚きと感動を持って音楽と繋がり、
自分の頭の中で鳴っている音楽をどうすればそのままピアノで表現できるのか、
楽しんで追い求めていく内に、感覚的に楽譜の読み方が自然と身についたのだと思います。
そして芸大の院の時にはピアノを教え始めていたので、その感覚的なものを言葉にする必要性が出てきました。
そこで、今回は自分が今まで学んできて、レッスンを受けに来てくれる音楽の仲間たちと共有しているものを文字にしてみます。(もちろんレッスンでは、その人の年齢や興味によって、その都度伝え方を変えています。)
これからも自分は学び続けますが、この根本的な楽譜の読み方が変わることはないと思います。
もちろん、これを読んだからといって音楽的にピアノを奏でられるようになるわけでもありません。ただ、音楽的にピアノを弾けるようになるための基本的な考え方のごく一部を記すだけです。
結局のところ、
それぞれ自分の方法を見つけるしかないんですよね!
以上を踏まえて読んでいただけると幸いです。