こんにちは、しもんです!
あらかじめ謝っておきます。タイトルの通り、あまり上品ではない単語がたくさん出てきます。
X(Twitter)に投稿しても良いくらいの短い話なのですが、
Xだと不特定多数の目に触れる可能性があるので個人的な話をしても特に問題ないブログで書かせていただきます!(ブログは見に来たい人が見に来てくれるため)
おしっこからの卒業〜ションベンから小便へ
私が「おしっこ」という言葉から卒業したのはおそらく小学1,2年生のころだったと記憶しております。
当時、小学生男子の集団の中で突如誰かが言い出した「ションベン」。
「おしっこ」の持つなんとなく子供っぽい響きから一転、スタイリッシュでかっこいい響きの「ションベン」をそれから先、私は20年以上使うことになります。
しかし、大学院も卒業して20代後半に差し掛かったころ、ふと疑問に思ったのです。
「ションベンって言葉、汚いよな」と。
それから「ションベン」ではなく「小便(しょうべん)」という言葉に変える努力が始まりました。
最初は違和感がすごかった。すごく居心地が悪い感じがした。
「ん」から「う」にするだけなのに!
しかし普段から意識的に使っている言葉というのものは段々と浸透してくるもので、程なくして「ションベン」を無事卒業。「小便」に入学しました。
※ちなみに、友達以外の人前で喋る時はちゃんと「お手洗いに行く」という言葉を使っています。
さて、そこから30代後半になってくると友人の前で使う「小便」もなんだか居心地が悪くなってきたのです。友人の前では「トイレに行ってくる」で良いわけですが、なんとかして「小便」の言い換えができないものかと。
あったんです。
そう、「おしっこ」が。
あんなに子供っぽいと思っていたおしっこが、実はそこでずっと待っていてくれたんです!
結局戻ってきたんですね、おしっこに!
まあ使用頻度としては、
お手洗い>>>>>トイレ>>>おしっこ>小便>ションベン
くらいなもので、
「おしっこと小便とションベン」は相対的に見るとどんぐりの背比べです。
しもんくんからの卒業〜おれから私へ〜
「ションベン」から「小便」に言い換えるのは居心地が悪かったと言いましたが、「おれ・僕」から「私」に一人称を変えたときと比べると屁みたいなもんです。(小便とか屁とか汚い単語ばかりで申し訳ありません)
「おれ・僕」から「私」に変えるのは、とにかく精神的ハードルが高かった。
もちろん、小さい頃の一人称「しもんくん」から「僕・おれ」にしたときも本当に大変な思いをしました。
友人の間では幼い頃から「僕・おれ」という言葉を使っていましたが、家族と話すときの一人称はずっと「しもんくん」でした。
そんな中で小学校高学年にも差し掛かってくると、自分の家に友達を呼んだ際に親と喋るときに自分のことを「しもんくん」と名前で呼ぶのは本当に恥ずかしいのです!
恥ずかしすぎるのであえて一人称なしで誤魔化して喋ってたりしました。
もしくは、たとえば「おれも!」と言いたいときは「あーも!(「あー」と発音しつつ口の中の形は「おれ」にしている)」と言ったりしてました。
「おいも!」みたいに聞こえます。
そしてついにその時が来ました。
頑張って家族の前で一人称を「おれ」に変えて喋ってみたら、その当時まだ小さかった弟に「え!おれって何!w」と言われましたw
とても恥ずかしかった思い出があります。(今となっては良い思い出です)
しかし笑われてもそこはなんとか「おれ」を突き通しました。
一人称『しもんくん』からの卒業は小6くらい。
しかし、大学院も卒業して20代後半に差し掛かったころ、ふと疑問に思ったのです。
「僕って言葉、幼いよな」と。
そこでまずは文章の「僕」を「私」に変えてみました。
そして毎日自分のことを「私」という習慣をつけました。
割と自然に使えるようになってきたのが30歳くらいになってからでしょうか。
このとき思ったのは、
『他人は別に自分のことをなんとも思ってない』ということ。
「しもんくん」から「おれ」に変えたときに弟に小馬鹿にされはしましたが、他人の変化に敏感なのは近しい人間だけです。
大多数の他人は自分のことを気に留めてません。だから変わることを恐れなくて良いのです。
自分が変化したことで誰かは離れていくかもしれませんが、変化した先でその変化を自然に受け入れてくれる新しい人と出会えます。
人生の中では、親しい人の中に自分の変化を嫌う人が現れることがあります。
そんな時はその人との関係をフェードアウトさせましょう。
自分の変化を嫌う人とは付き合う必要はないです。
別々の道を進んでも全く問題ありません。
大丈夫です。きっとうまくいきます。
そんなこんなで今は「おれ、僕、私」を時と場合によって使い分けられるようになりました。笑
読んでくださり、ありがとうございました!