エッセイ

耳で楽器を弾けるからこその悩み

最近よく思うことがあります。

耳で響きを聴いて空間と時間を感じられる演奏家よりも、
指でただピアノを弾いている人の方が、
感じていることが少ない分、何にも影響されずピアノを弾けるんだよなぁと。

もちろん、ただ弾けることが良いことだとは全く思いません。
私が目材しているのはそこじゃないから。

耳を使って弾くということが本当に大変な分、喜びも尋常じゃないってことを今日は話します。

友人との会話で再認識したこと

先日、大切な音楽仲間のリサイタルに行ってきました。

その後、美味しいお寿司屋さんに行って美味しさにほっぺたが落ちそうになりながら沢山音楽の話をしました。

ピアノを弾くというのは、
感性はもちろんあった上で、

頭と体と耳、この3つをフル稼働させるのですが、

体が動きを覚えていて勢いで弾けるというフェーズだとまだピアニスト(ピアノを弾く人)止まりなんですよね。

ミュージシャン(音楽を感じて表現できる人)になるためには、

頭で理想の音をイメージしてから弾いてそれを聴く、ということが必須なのですが、

耳を使って時間と空間を自由に感じられるようになってくると、

逆に繊細になりすぎてピアノが弾きづらくなるという現象が起きます。

自分の演奏の完成度、楽器の良さ、調律の素晴らしさ、聴衆の素晴らしさ、
この4つが揃うとすごい価値の高い時間と空間のコンサートになるのですが、

全てが揃うことなんて滅多にありません。

特に楽器と聴衆に関してはピアニストにはどうしようもない部分でもあるし、
聴いてくださる方には自由に聴いてほしいとも思っています。

やはり慣れが必要

特に初出しの曲とか、リサイタルツアーでの一番最初のリサイタルでは、

いくら練習中にイマジネーション豊かに練習していても「自分のイメージは足りなかったな」と思わされます。
きっとこれは私がまだ未熟だからなのですが、

私が今までの人生で聴いてきた自分の演奏や他人の演奏のことを分析すると、

最初のリサイタルでうまくいく人って、ほとんどの場合、指で弾いているピアニストです。

まだ耳を使って弾くことができていないために、弾いている本人のレベルが低くて気づけていないだけなのです。

指で弾くというフェーズではうまくいったように聞こえるけれど、
耳で弾けるフェーズになると新しい課題がどんどん出てきます。

そしてそれを細かく感じていくと、まず練習の仕方が変わるし練習時間も恐ろしいほど長くかかります。

耳を使うことを知ってしまったピアニストたちは、もうそれに向き合って時間を使うしかありません。

自分の理想だけははるか遠くにあるから、それに向かって日々音楽を楽しんでいくしかない。

コンサートは、「コンサート当日」という締め切りがあるためにそれに間に合わせていかないといけないけれど、自分が納得できる状態まで仕上げるって本当に大変なんですよね。

今の私のこの意見に理解を示さずただ反論する人がいるとしたら、
おそらく、その人は指で弾いているピアニストです。

耳を使えるからこその感動がある

指だけで弾くと、演奏者本人は気持ちよさがあるし、
お客さんもそのエネルギーを感じて盛り上がるので、
指で弾くこと自体は音楽としては否定されることではありません。

誰かが感動したなら、その人にとってはそれが音楽だから。

しかし、
耳を使うことで、演奏者と聴衆、どちらの感動も味わうことができます。

自分が音楽の中に溶けていくような感覚を味わうことができます。

溶けすぎると演奏者としての自分が薄まりすぎて演奏家としての感動を感じづらくなるので良くないのですが、
演奏者としての自分と聴衆としての自分が二人存在していると、本当に素晴らしい演奏になるんです。

とにかく自分の道を信じてやるしかない

演奏家は、自分の理想に向けて歩み続けるしかないのですが、

その時できる最高のものを準備できたら、絶対に聴いてくださっている方々に感動を与えることができます。

なので、耳を使えるようになったピアニストたちは、

理想に向けて歩んでいく自分でありながら、理想に追いつかない自分を受け入れて、
その時できる最高のものを聴いてくださっている方々と共有しましょう!

そうすれば、どんな演奏だとしても演奏後には「演奏家で良かった」と思うはず。