エッセイ

2019 チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門

私は演奏家としての立場では、コンクールの演奏に対してネットなどの公の場で批評するのは避けるようにしている。

チャイコフスキー国際コンクールの感想がTL上でもたくさん流れてくるけど、

プロの演奏家たちの『本音の感想』って、ほとんどネットには出回らない。

そして、
もし感想を言っている人がいても、

その人がどんな立場だろうと『その人個人の感想でしかない』という視点は持っておくべきだと思う。

プロのピアニストや先生が言ってるから本当なんだ、とは思わない方がいい。

自分と違う意見を持っている人に対してもその多様性を受け入れられる社会になったらいいけれど、

今はまだ、世の中の大多数と違う意見の人は排除されるだけの世界なので本音なんて言えないし、言うことの害の方が大きい。本音の感想は、ピアニストたちの間だけでやり取りされることが多い。

なぜなら、ネットで感想を言うこと自体に危うさがあるから。

誰かを褒めたら他の人をディスってると思われるし、もし批判的な意見を述べたとしても参加してない人間の感想など批評家のそれと同じなので誰にも相手にされない。

全世界の人が多様性を受け入れるのはきっと無理

人それぞれ意見を言うのは本当に面白いと思うし、
私としては批判の意見も共感の意見もどんどんSNSでも流れてほしいとは思うけれど、

世の中にはそう思わない人が大多数いる印象がある。
(特にTwitterな。)

どんな意見を言ったとしても、誰かは不快になってクラシック界を嫌がる人が出てくるのなら私の立場としてはあまり感想を言わない方が良いと思っている。
(今現在Twitterのフォロワーが3000人弱いるので、多少なりとも影響力があるため)

しかも、自分が本音でピアニストを批評してしまうと、
確実に敵を作ることがわかっているので絶対に言えない。

褒めても敵を作るし、音楽的な根拠を交えて批判しても敵を作る。

それって全体的にみると音楽界のためにならないのではないか、というのが今の私の考えです。
もちろんこれは「コンクールにおいてプロのピアニストが参加者を批評する」ということにおいてのみの話です。

経験上、同業者批判って、どんなに音楽的な理由を混じえて批判したとしても、
あまり良いことないんだよね。

批評する側ではなく、される側でいたい

そう、私は批評される側なのだ。
批評して気持ちよくなってるような人間になりたくない。

自分の専門分野においては特に。

ただ、意見を言わないといけない時もある。

その時も個人名などは絶対に出してはいけない。

そんなことをしても百害あって一利なしだと思う。

細心の注意を払って意見を言っても誤解される

「私はこう思う。なぜなら、こうだからだ。」という形で、ただただ自分の意見として誰とも比較せずに伝えたとしても、

世の中には自分とは真逆の人たちがいるもので、びっくりするくらい違う解釈をして拡散されたりする。

【意見を言う】という行為だけで誰かを傷つけたり不快にしたりするものだ。

それは覚悟した上でできる限り細やかな伝え方をしていきたい。

自分の意見を言うときはもちろん言葉には気をつけないといけないが、
ある程度は相手の読解力を信頼して言わないとやっていけない部分もある。

読む側に必要とされる能力に関してはこちらの本を読んでほしい。

まとめ

世の中がもっと多様性を受け入れられたら良いんだけど、

まだまだネガティヴな意見は拒絶される世の中なので、

同じ音楽仲間を批評することは極力したくない。

入賞した人にはただただ「おめでとう!」と言うだけでいいと思っている。

賞賛しても批判しても誰かの心にモヤモヤは残る。