こんにちは、しもんです!
芸術は数値データで表せるものではありませんよね。
だったら他人と比べることがそもそも曖昧で難しいことなのです。
だったらそんな曖昧でわからないものを追わずに、自分の中で成長していけば良いと思いませんか?
昨日こんなツイートをしました。
世の中にピアノが上手い人なんて無限に存在するので、「他人よりもうまくなろう」なんて思考は捨て去って「過去の自分(昨日の自分)よりうまくなるため」に行動した方が健全です😊
人と比べる「コンクール思考」の時点で二流。
— 佐野 主聞 / しもん (@Shimon_Sano) December 18, 2020
世の中にピアノが上手い人なんて無限に存在するので、「他人よりもうまくなろう」なんて思考は捨て去って「過去の自分(昨日の自分)よりうまくなるため」に行動した方が健全です😊
人と比べる「コンクール思考」の時点で二流。
なぜこのツイートをしたかというと、
私が芸大にいた時に周りの人が、
「どうやったらあの人を超えられるんだろう」
「コンクールでは他人のミスを願っている」
とかこんなガチガチの二流の意見を言っていたからです。
「コンクール思考」は二流
「他人のミスを願う」っていうのはもう論外です笑
タイガーウッズは試合中に相手が成功することを願っていると言っていましたが、
相手がうまくいくことで自分もうまくいくというのはよくあることですよね。
「どうやったらあの人を超えられるんだろう」ということに関しては、
多少希望がある言葉なので悪くはないのですがそもそも他人を超える意味ありますか?笑
SNSなどでも相手を褒めるために相手と自分を比較して褒めてしまう人がいますが、
あれはやめた方がいいです。
言葉というのは、発しているうちに現実化してしまう性質があります。
あなたが相手よりも自分が下だと思っていたら、あなたは一生相手よりも下です。
しかし、昨日の自分より成長しようと行動していればいつの間にかその相手なんて超えているものです。
そもそも超えなくていいのよ。
相手の良いところだけ盗んで自分のものにしてしまえばいい。
あなたはあなたのままで魅力的です。
コンクールを受ける価値はもちろんある
「コンクール思考」は二流、と言ったことで「こいつはコンクールを否定している!」とか思ってしまう文字を読めない読者さんはここにはいないと思いますが、一応説明しておきます。
コンクールを受ける意味はバリバリにあります。
まず、
・自分の成長に繋がる
・認知されるようになる
・将来の音楽仲間と繋がることができる
大きく分けてこの3つです。
上の2つは当然なのでわかると思いますが、3つめがかなり大きいです。
特に国際コンクールは音楽仲間の宝庫です。
私が過去2回出場した『浜松国際ピアノコンクール』なんかは出場者との仲を深める素晴らしい機会でした。他のコンクールもしかりです。
もちろん仲を深めるのがメインの目標ではないのですが、副次的な要素として素晴らしいものだと思います。
どうしても他人と比べてしまったら
人間は競争する生き物なので、他人と比べることは仕方のないことです。
しかし、相手の良いところを発見したならそれを真似して吸収したら良いと思いませんか?
比べて落ち込んだり、相手を恨んだりするのは人生の時間の無駄です。
もし相手の良いところを言語化したり演奏で真似できないとしたら、それは単純にまだ基礎的な能力が足りていないだけです。
とにかく深く観察して音を真似しましょう。
真似にも才能があるかもしれませんが、
そもそも真似できない人って真似するために使っている時間が圧倒的に足りません。
「できない」を絶対に口にするな。
「どうやったらできるんだろう」と思いながら練習に励んでください。
真似しまくることで、いつの間にかその音や表現は自分と混ざって自分そのものになっていきます。
この感覚は大切です。