こんにちは、しもんです!
昨日の記事と少しかぶりますが、今日は『専門教育』という言葉について私の考えを書きます。
またNami Itoさんの投稿を載せます。
個人的には、音楽の専門教育を受けていない者が対価を受け取って人に伝授する、ということにはあまり賛成できない。
教育には、必ず責任が伴う。演奏の技術、音楽性、付随する専門知識、指導法……。それらは必要なことであるが、持っていなくても真似事はできてしまう。— Nami Ito (@accccompaniment) September 11, 2020
私個人としては、本人が「言葉足らずだった」という部分も含めて全面的に賛成です。
なぜそう言えるかと言うと、
彼女が140字で言えなかった「言葉が足りていない部分」を付け加えて読解するのが読者の責任でもあると思うからです。
そこらへんの話は是非ともこちらの名著を読んでいただければ幸いです!
なぜ読者にもちゃんと読解する責任があるかがわかると思います。
学びは終わらない!【専門教育とはなにか】
上に載せたNami Itoさんのツイートは、
「人に教える立場になるためには専門教育を受ける必要がある」、と言う投稿でした。
これは本当に必要なことですよね。
これ自体は誰も否定できないはずです。
ただ教えるだけではなく、人間として生徒に接することなども含めて総合的な能力が必要になってきます。
私はItoさんの意見に全面的に賛成した上で、
私の意見としてはとにかく学び続ける姿勢がある人であれば「先生」になる資格はあると思っています。
学び続けていないのであれば、いくら大御所だろうと「先生」の資格は持っていません。
そもそも「どこからが専門教育か」を定義するのは不可能だし、
「足りている人」なんていないからです。
芸大の先生だとしても、私から見たら「足りない」と思う人がたくさんいました。
これは残念ながら事実です。
演奏家としては素晴らしくても教え方が下手な人が普通にいたのです。
(私が在籍していたのは10年も前なのでその当時の話です。今はわかりません。)
おそらく芸大だけではなく、他の音大だとしても実技が素晴らしくても人間としてひどい先生は当たり前のようにいると思います。
演奏家としてだけではなく、人間としても成長し続ける
今、「ピアノ教師」として仕事をしている方(私も含めて)はこの部分を忘れずに生きていきたいですよね。