音楽

落合陽一さんの言葉が心を貫く

皆さん、このツイートご存知だろうか。

ポジションを取れ.批評家になるな.フェアに向き合え.手を動かせ.金を稼げ.画一的な基準を持つな.複雑なものや時間をかけないと成し得ないことに自分なりの価値を見出して愛でろ.あらゆることにトキメキながら,あらゆるものに絶望して期待せずに生きろ.明日と明後日で考える基準を変え続けろ.

このメッセージで伝えたいことって文章そのままだと思いますが、
否定の文を肯定に言い換えると、

「批評される側に立て」
「多様な価値観を受け入れろ」

となるのではないか。

レベルの高い批評は、あらゆる側面から高次元で物事を見られるので良いが、
一般的な”いわゆる批評”は無価値。

そして、落合陽一さんはこうも言ってる。

手を動かせ,物を作れ,批評家になるな,ポジションを取った後に批評しろ,声明を出せ,それは手を動かして物を作るためのプロパガンダだ.

批評する前にポジションを取れ。

これは音楽の世界で例えるなら(極論になるが)、

演奏家の批評をするなら演奏家になってからにしろ。

ってことだと思う。
批評家というポジションにいる人間が演奏家を批評することは難しい。
何故なら彼らは演奏家じゃないから。

以前、こんな記事を書いてた。結構尖った文章だ。かなり荒れてるが是非読んでほしい。

https://sanoshimon.com/2017/05/26/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%82%92%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E8%81%B7%E6%A5%AD%E8%A9%95%E8%AB%96%E5%AE%B6%E3%81%9F%E3%81%A1/

もちろん私も尊敬する批評家たちはいるが、批評家という職業を尊敬しているわけはなく、
その人間性を尊敬しているのだ。

演奏家の私たちは、
常に手を動かして、創り続けよう。
そして、自分なりの価値を見出して愛でよう。

追記

と、ここまで書いて思った。

何故ここまで批評家を嫌う必要があるのかと。

「あなたはあなた。私は私。」である。

https://sanoshimon.com/2019/04/28/%E4%BB%96%E4%BA%BA%E3%81%AB%E5%BC%B7%E8%A6%81%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%A8%E6%80%9D%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%99%82%E3%81%AE%E5%8F%97%E3%81%91%E6%B5%81%E3%81%97%E6%96%B9/

実際、彼らに腹が立つのはわかる。しかも演奏家じゃない人間から言われたら「お前誰だよ」ってなる。
だが要は、その言葉を言われた人間がそれを受け止めた上で受け流すか受け入れるかの判断をすれば良い話だ。

演奏家とか聴衆とか批評家とか関係なく、一人の人間として
「あなたはそう思うんですね。私は違います。」とかそういうスタンスで良いし、
「なるほど、そういう風に感じた人がいるんだな。面白いな。」くらいで受け流せば良い。

そして、この視点を世の中の人全員が持てると良いと思う。

 

※落合陽一さんの言葉を画像にしました!(スマホのロック画面用)
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