演奏している時に、身体に力が入ってしまうことってありませんか?
肩に力が入る。
親指が反る。
小指を巻き込んでしまう。etc.
これは当然のことながら、無駄な力・無駄な動きなので一生ピアノをやっていく上では邪魔なものでしかありません。
これを直すのは本当に時間がかかりますが、
指のことに関しては、直しておかないときっと40歳になる頃にはピアノが思ったように弾けなくなります。
指のことに関しては、直しておかないときっと40歳になる頃にはピアノが思ったように弾けなくなります。
手や指を痛めつけながら、豊かな音色もなく力だけ(音量だけ)で弾き続ける…
これが本当に幸せなピアニスト人生だとは私は思えません。
先輩・後輩に関わらず、そういう“力の道”で音楽をしている方々を沢山見ているのですが、
もしアスリートのように30,40代でその道が終わってもよいと考えているのなら誰も止めない。
ただ、一生楽器を弾き続けたいのなら、
歳をとってから長年しみついた奏法の癖を直そうとしても時間がかかるのは目に見えているので、
今のうちに少しずつ奏法を変えていくべきだと思います。
さて、この時に注意しないといけないこと!
それは
奏法を変えるときにも耳を使う
ことです。
よく奏法を教える時に、身体の使い方や脱力方法だけで終わってしまうのを見かけるのですが、
それが音楽的なことに結びついていないと勿体無い。
まず、
「何故、力が入ってはダメなのか」ということですが、
力が入るということは固くなるということ。
“固さ”というのは「力強さ」をイメージさせる反面、
「死」を連想させます。
身体も脳も柔らかくしなやかさを持ってうまれた赤ちゃんが、
歳をとると身体も頭も心も固くなって死んでいくように。
死んでは呼吸ができない。
呼吸しないということは死ぬということ。
ピアノにおいて、無駄な力が入って固くなるということは、
音が呼吸しなくなるということです。
ってことは、
音が死にます。
死まで至らないとしても、瀕死です。
次の音にエネルギーを伝える余力は残っていません。
あら大変!
あら大変!
常に身体を柔らかく保って音に呼吸をしてもらって、
エネルギーを次の音に伝えていくことが大切!
人間も、何か精神的なエネルギーを次世代に伝えていくことが一つの使命だと思う。
ってことで、今日は長くなったので
明日その練習法(耳を使って音を呼吸させる方法)について書きます。