学び

英語との出会い

明日、自分なりの英語の勉強法の記事を投稿する予定ですが
その前に自分と英語との出会いについて書きます。


私の父が英会話教室の先生だったこともあり、
佐野家の三兄弟はみんな言葉を話せるようになる前から
父からは英語で喋りかけられ、
母からは日本語で話しかけられて育ってきました。

しかし、当時4〜5歳の自分は英語で話しかけてくる父に対して
「友達みんなは日本語で話してるのに、なんで英語で話さないといけないのか。一対一の時に英語を話すのは良いけど、他のみんながいる時にはその場のルール(日本語を話すというルール)を守れ。」
と思っていて、英語で話しかけてくる父に日本語で返事してました。
反抗期です。笑

それで父が心折れてしまって僕に英語で話しかけるのを諦めてしまったため、
三兄弟の中で僕だけちゃんと英語を話せずに大きくなりました。残念。

しかし、英語の響きは覚えていたのか、発音だけは英語を母国語として話す人たちと同じくらいのレベルなので、父には感謝しています。


反抗期のおかげで今こんなに苦労しようとは夢にも思わなかった…(笑)


本来、「言葉は他人と意思疎通するためにある」のに、日本の英語教育はこれを全く無視してテストのために書くことばかりやっています。
それで中途半端な知識だけがついてしまって、実際に会話するとなると「間違ってたら恥ずかしいな。だったら話さない方がいいや。」となってしまいます。
僕がそうでした。

まずは、その恥ずかしさを取り除くのに凄く時間がかかった…!

海外から日本に観光に来ている人が、たどたどしい日本語で話しかけてきても、私たちはニコニコして懸命にわかってあげようとするのと一緒で、
英語を流暢に話せなくても「伝えたい気持ち」があればちゃんと伝わるんですよね。
英語を話す恥ずかしさを取り除くために、留学中、僕はとにかく「お酒で理性を飛ばして話しまくる」という戦法を使いました(笑)
「英語を母国語とする恋人を作る」というのが実際一番良い戦法なのですが、残念ながらそれは達成できませんでした(笑)

それで、会話・意思疎通は問題なくできるようになったのに、受験のためにTOEFLを受けて絶望。
今までやってきた勉強は甘かった。浅く自己満足の勉強しかしていなかったことに気付かされました。

それを見直して、自分なりに英語が身につくための勉強法を明日公開します。