前回からかなり間が空いてしまいました。
というのも、
第1回も第2回は、多少なりとも
音楽的な事実とか本質を踏まえて文章を書いたつもりなのですが、
第3回は、ただの好みの問題になりそうだなぁと思ったので
書くのを遠慮していました。
しかしまぁ、
書いちゃおう!笑
今日は室内楽(アンサンブル)の時の身体の動きについて。
長くなります!
第1回から書いてきたように、
無駄な身体の動き・無駄な力は
クラシック音楽にとって害になる可能性があるのですが、
今回は演奏家視点(ピアニスト視点)と聴衆視点で書きます。
(どちらも自分の価値観なので、かなり偏っていますが。笑)
室内楽で身体を動かすのは、
・ 共演者へ音楽のエネルギーを渡すとき
・ 共演者と呼吸を合わせるとき(一緒に弾き始めるタイミングを呼吸と身体の動きで合わせる)
など。
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・演奏家視点
ピアニストは他の楽器の人とアンサンブルをする時、
基本的に共演者と目を合わせることはできず、
共演者の呼吸や身体の動きを、耳で感じたり目の端で捉えながら演奏します。
基本的には、ソロと同じ身体の使い方をするけど、
共演者に音楽のエネルギーを伝えたり、音で言葉のやり取りをする時は、
自然と身体が動いてしまうのです。笑
しかも、ピアノ・ソロの時よりも多少大袈裟に動きます。
なぜかって、室内楽は音楽の喜びが何倍にもなるから。
尊敬し合える仲間と一緒に演奏するのはただただ楽しいんです。
普段、孤独な存在であるピアニストにとっては特に。
・聴衆視点
身体を動かしてそれが音楽になってるなら、それは素晴らしい。
だけど、身体を動かしてもそれが音に反映されていない、
もしくは中途半端で表面的に聞こえる時、
激しく違和感を覚える。
音楽が大好き!共演者が大好き!ってことで、身体を沢山動かしたり、
「音楽たのしぃぃぃぃひゃっほおおおおおう!!!」
みたいにやりすぎると、
舞台上でただイチャイチャしてるだけに見えてきます。笑
「いや、おれは音楽を聴きにきたのであって、お前らが視覚的にイチャイチャするのを見に来たわけではないんだぞw イチャイチャしたいなら聴衆を巻き込まずに、自分たちの部屋でやれよw」とツッコミたくなります。
特にベートーヴェン等でそれをやられた時の違和感ったら凄まじい!
以前あったんです。
ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタで。
ヴァイオリニストの男性は、信じられないくらい音楽的に素晴らしく、ただただ音だけで表現しきっていた。
ピアニストの女性もちゃんと音楽があって、
既に音だけでその曲を表現できていたにも関わらず、
途中からピアニストの女性が、やってしまったのです…
ヴァイオリニストを目の端で捉えておくだけでいいのに、顔なんてそんなに動かす必要ないのに、
呼吸を合わせる度にヴァイオリニストを振り向いて熱い視線で見つめる。
そして、過剰な笑顔と顔芸。
ヴァイオリニストはピアニストのこと見向きもしてないのに。
音楽そのものを犠牲にして
“「この男は私のものよ!」というアピール” をしてるように見えてしまった、その瞬間に。←これはさすがに自分がひねくれてると思うけど(笑)
やはり演奏家主体なのではなく、
音楽そのものや作曲家の魂が主体になるのが、クラシック音楽として本物だと私は信じています。
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演奏家として、
今までの経験から
過剰に身体を動かす時と言えば、
共演者が音楽を表現していない、わかっていない時。
室内楽の場合、
ピアニストが他の楽器の奏者よりも曲全体を把握していることの方が多い。
例えば、ピアノとヴァイオリンとチェロのトリオの場合、
ピアニストはスコア(全ての楽器の音が書かれている楽譜)を見て練習しているので、
一人で練習している時からヴァイオリンやチェロの音を頭で鳴らしています。
だけど、ヴァイオリンやチェロの人たちは、
パート譜(自分の楽器の音が書かれた楽譜)を見て練習するだけで、
他の楽器を頭に入れてこない場合が多い。
特に、子供の生徒さんとかプロではない方々。
本来は、室内楽をやる時は一人で練習する時から共演者の音を頭に慣らしてないといけないのですが、
それができてなくて
音楽表現が乏しい、もしくはピアノのこと全くわかってない場合、
ピアニストは、
音だけではなく過剰に身体を使って音楽の雰囲気を作ることがあります。
「なんとかこれに呼応してくれ〜!」という願いを込めつつ。
まとめ
何事もバランスは大事だけど、
人それぞれの価値観、好みによってもバランスは変わってくると思う。
ただ、作曲家や曲のことを勉強していくことで身につけられるバランスがある。
そのバランスを崩し、音楽や作曲家への敬愛を忘れて自分たちのことだけ表現しようとすると、
聴衆を置き去りにする可能性がある。
練習や遊びで、身体をアホみたいに動かしたり顔芸をやるのは本当に楽しい。(昔からずっとそれで遊んでます。笑)
だけど、本来は音だけで喜びや様々な感情を表現できる。
音だけで表現する能力が自分に備わってない時に、
身体の動きを借りて音楽を表現しようとしてるのだと思う。
それで音楽が更に表現できるのなら良いが、
もし身体だけ無駄に動かして音になっていなかったらやはり良くない。
個人的に
室内楽の理想は、
共演者が全員音楽をわかっていて、
音楽や作曲家への敬愛を尋常じゃなく持っていて、
もはや「合わせる」とか「表現を揃える」とか、そういうレベルを遥かに超えた演奏。
それぞれの表現したいものが、遙かなる高みで作曲家の魂と同化してるような演奏。
そういう演奏ができたら最高だ。