先日のブログ記事で「生徒を所有物扱いする先生」について書きましたが、
https://sanoshimon.com/2019/05/06/%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%84%E4%BD%93%E9%A8%93%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%B3-%E3%80%9C%E5%AB%8C%E3%81%AA%E5%85%88%E7%94%9F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AF%E3%81%99%E3%81%90%E9%9B%A2%E3%82%8C%E3%82%88/
ふと思ったのですが、これって先生だけの問題とは言えないよな、と。
生徒の問題でもあるのではないか、と。
指導者としての最終目標
ピアノを例にあげますが、
ピアノの先生としての目標は、その生徒がレッスンを受けなくても一人でやっていけるピアニストに育てることだ。
いつまで経っても先生のレッスンがないと弾き方がわからないような生徒に育ててしまうのは、先生として失格である。それは「育てた」とは言えないと思う。
生徒が自分の頭で考えて自分の能力で弾くことができるようにするのが先生の役目。
そうしないと、
生徒は先生のレッスンに依存してしまう。
思考停止のロボットになってしまう。
生徒をひとり立ちさせられない理由
なぜ、生徒がレッスンに依存してしまうような教え方になってしまうかというと、
先生が音楽をわかっていないからです。
音楽の根本を教えたり、体系的に教えることができていないからです。
「そこはこう弾いて!」みたいな教え方で何をやるかだけを教えたり、
その先生が他の先生などから教わってきた断片的な知識や小手先のテクニックを教えても実は将来的には意味がなくて、
大事なのは「どう弾くか」の部分よりも、
「なぜそう弾くか」という根本的なところを言語化して教えたり、演奏で伝えたりできないと生徒さんは深く音楽を理解することができません。
更に、親の教育で「言うことを聞くと褒められる」みたいなことを言われて育つと、
生徒さんは、先生の言うことを聞いて褒めてもらおうとします。
みなさん、よく考えてみてください。
それが数年続くとどうなるでしょうか?
子供も最初は「なんでそう弾くんだろう」と疑問に思っていたものが
段々と先生の言うことを聞いて弾くだけの機械になってしまいます。
ピアノを弾く楽しみが自分のためではなく、先生や親を喜ばせるためになってしまうのは本末転倒だと思いませんか?
そうやって育った子は最初はコンクールなどで活躍するかもしれません。
ですが、ひとり立ちするのには大きな変化が必要になります。
だったら、最初から音楽の根本の部分を教えて生徒が自分で考えて判断するように指導するのが合理的ですよね。
先生方には、
自分の指導によって最終的に生徒の時間(命)を奪ってしまう可能性があることを考えてほしい。
音楽を表現する上で必要な根本的な部分をまず生徒に教えてください。
そうしないと、生徒さんはいつまで経っても自分で音楽を作り上げていくことができないし、
もし間違った知識や小手先のテクニックによる演奏で癖がついてしまうと、
それを直すのには膨大な時間がかかります。
生徒のためにも、先生は学び続けてください。
まずは今持っている断片的な知識の理由、【なぜそうあるべきなのか】を深く考えてみてください。
「楽譜にこう書いてあって、これの音楽的な意味はこうだから、こう弾く」みたいに、
言語化+演奏で表現できるようにしてください。
私も変化を恐れずに学び続けますので、一緒に勉強していきましょう!
感覚は人それぞれだが、知識は学べる
上記の文章で、
「楽譜にこう書いてあって、音楽的な意味は〜」の部分は知識です。
「こう弾く」の部分は、知識+感覚です。
感覚の部分は人それぞれ違うので、「こう弾くべき」という正解を教えるのは難しいですが、知識の部分は教えることが可能です。
https://sanoshimon.com/2016/06/08/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E7%9A%84%E3%81%AB%E6%A5%BD%E8%AD%9C%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80%E6%96%B9%E6%B3%95/
生徒の問題
私がまだ東京藝術大学にいた時、
ピアノ科の会話で驚いたことがあります。
「どうしよう、本番前なのに2週間レッスン無いから何して良いかわからない!」
この生徒さんは、自分で新しい課題や問題点を見つけて解決していくということができなかったんですね。
私は本当にびっくりしました。
なぜなら、
私の先生はミケランジェリだったりホロヴィッツだったりリパッティなどで、
音源や人の演奏を聞いて良いものを吸収して、なぜそれは良いのかを常に考えて自分のものにしてきたからです。
「今レッスンを受けている先生」だけが「先生」ではなく、世の中の演奏家全てが自分の先生なのです。
小さい頃から、好きな演奏を徹底的に真似てきました。
その過程で、
どうしたら自分の頭に鳴っている理想の音が出るのかを常に考えて試行錯誤してきたんですよね。
レッスンの時に先生に何かを教わるというよりは、
「自分の行き過ぎた感覚を指摘してもらうため」とか
「そもそも足りてないことに対してツッコんでもらうため」に、
レッスンを利用していました。
そのため、大学に入っても「先生のレッスンが無いと練習の仕方がわからない」と言うのが信じられなかったんです。
生徒さんには、是非とも自分の頭で考えて問題解決していく思考法を身につけて欲しいと思ってます。
先生の「こう弾きなさい」に応えるだけではなく、
その場で少し考えてなぜそう弾くのかわからなかったら、
「なぜそう弾くんですか」と先生に聞いてみください。
そこですぐに理由を答えてくれたり、
「じゃあ一緒に考えてみようか」と、生徒さんと一緒に音楽を共有する姿勢がある先生は素晴らしいと思います。
とにかく、自分の頭で考えたり、わからないことを調べる習慣をつけましょう。
オススメの本(特に読みやすいもの)を貼っておきますね。
まとめ
私がイスラエル留学していた時、
ユダヤ人の恩師から「国際コンクールに出るためには先生と二人三脚でやっていかないといけない」と言われたのですが、
私はこれには疑問でした。
「確かに先生からは学ぶことが多いけれど、行動するのは自分。練習するのも舞台で弾くのも自分。
先生とべったりとくっついて練習していくことしかできないのなら、入賞したところで、
まだピアニストとして一人でやっていく器が備わってないってことになる。」
私のこの考え方には賛否両論あると思います。
なぜなら、入賞してから一気に成長して素晴らしいピアニストになる人たちもたくさんいるし、レッスンを受けること自体は本当に重要だからです。
(人に聴いてもらわないと、いつの間にか妥協している自分がいる)
ただ、世の中の素晴らしい(と私が思っている)ピアニストたちは、
基本的に自分で自分の問題を解決していける人ばかりです。
だったら、コンクールで入賞することを目的とするのではなく、
ひとり立ちできるような思考法を学ぶ方が先だよな、と思うのです。
今日は、先生と生徒の依存関係は教える側にも教わる側にも問題がある、というテーマで書きました。
先生も生徒も自分で思考して学び続ける習慣をつけたいですね!
https://sanoshimon.com/2019/05/06/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%86%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%B3%E6%83%85%E5%A0%B1%EF%BC%88%E9%9A%8F%E6%99%82%E6%9B%B4%E6%96%B0%EF%BC%89/