エッセイ

久しぶりのヤマハでのレッスンで感じたこと

こんにちは、しもんです!

昨日はヤマハで高校生たちのレッスンをしてきました!

コロナ禍になってからは私の家以外でレッスンすることはほぼなかったので、本当に久しぶりの外でのレッスンでした😊

さて、今回のように定期的なレッスンではなく単発レッスンの場合、先生はその限られた時間で生徒と信頼関係を築く必要があります。

信頼されて初めて、レッスンが良い時間になるからです。

久しぶりのヤマハでのレッスンで感じたこと

今回のレッスンで嬉しかったのは、生徒のピアニストが積極的にレッスンを受けてくれたこと。

昨日の高校生たちのレッスンでは、みんなちゃんと疑問点を口に出してくれて嬉しかった。

昔の僕は、
「こんな質問したらバカだと思われるかな」とか「この疑問には先生は答えられないだろうな」とか思って、結局自分で解決するしかなかった。

生徒から質問されるのは先生が信頼されている証拠だ。

 

レッスンを「受ける」と言う言葉を使うと、どうしても、

『生徒は評価される側』
『先生は評価する側』

という関係になりがちですが、そうではないんですよね。

音楽から見たらみんな対等です。
なので、先生と生徒が『音楽を共有している』という状態が理想です。

 

そのためには生徒の積極性が必要なのですが、その生徒の積極性を出すのは先生の義務です。

生徒が積極的にレッスンを受けないからと言って生徒や親に文句を言ってはいけません。
それは単純に先生の実力が足りないだけのことが多いです。

先生にちゃんと実力や人柄が備わっていて生徒からの尊敬や信頼を獲得していれば、生徒さんは自然と積極的になります。

「生徒が言うこと聞かない」と嘆く前に、先生は自分の実力を上げる努力をしましょう😊
今からでも遅くありません!

機械的なレッスンは意味がない

大御所の先生とかベテランの先生たちって、もう何百回と同じ曲のレッスンをしているので言うことが大体決まっちゃってるよなぁ…と思ったことありませんか?

全員に対して同じことをアドバイスしていく感じ。
それ自体は間違っていません。
そのアドバイスはきっと大切なことだから。

でも、人間はひとりひとりが違うので、本来は同じ曲をレッスンするにしても教えることが変わるはずなのです。

ピアニストたちは、
それぞれが直面している悩みも違うし性格も目指している場所も違うので、

彼らのレッスンをするときは「ピアノを教える」というよりも「ピアノを通して対話をする」という感覚に近い。

「この曲はこういうことを教える」というような機械的なレッスンでは意味がないのだ。

昔から色々な先生のレッスンを受けたり公開レッスンを聴講しまくったりして思っていたことがあります。

しもん
しもん
同じ曲でレッスンを受ける場合、この先生は全員に対して同じことしか言ってないな。しかも、全然ピアノで弾いて示してくれないじゃん。

と。

しもん
しもん
だったら、一回その曲でレッスンを受けた他の生徒さんへのアドバイスを見せてもらうだけで十分じゃね?

と。

生徒さんが、わざわざお金と時間を使ってレッスンを受けるのは「自分にとって意味がある」と思ってくれているからです。

 

先生は、ひとりひとりの生徒さんに対して、
音楽を通してもっともっと深いところで繋がるための知識や技術が必要だと思います。

そのためには先生も生涯学び続けて挑戦し続けるしかありません!
僕も頑張ります!先生方、一緒に頑張りましょう!