音楽

植田克己先生から学んだこと

今日は植田先生から学んだことと、音楽教育について考えていることを少しだけ書きます。


一度たりとも植田クラスの生徒”らしく”過ごしたことがなく、
全く先生の言うことを聞かずに歴代の植田クラスの中でも問題児の四天王(先輩Uくん、先輩Tくん、私、後輩Tくん)と呼ばれるほど先生を困らせたのですが、

植田先生は私を卒業まで見捨てずに見守っていただいた上に、卒業後は更に気にかけてくださる本当に心の広い先生でした。


昔から1人の師から何かを学ぶというよりは周りの人やもの全てから学んでいた私は、
何か良いものを見つけた時に、それを自然と自分の価値観や感性と合わせて自分のものにしていたので、

レッスンでなにかアドバイスを受けた瞬間に自分の価値観と照合してみて、そのアドバイスを自分の納得の行く形で更に音楽的に昇華させていただけでした。

なので、
「先生の言うことを聞いて、素直にそれに従った」
という記憶が一切ありません…(笑)



自分の師はホロヴィッツだったり、ミケランジェリだったり、リパッティだったり…あるいは他の楽器の音をとにかくピアノで出せるように真似てみたり。

とにかく師は1人じゃなかった。


ただ一つ、先生から言われたことで学生時代に自問し続けたのは、
「楽譜通り弾いているか」ということ。

それまでは自分の感性だけで弾いており「自分が納得できるか」が大事だったので、
「作曲家の魂を伝えているか」はまた別の話だったのですが、

今は作曲家が第一にあって、楽譜通り弾くだけで自分の感性は自然に出てくるので
あえて不自然に自分を出す必要などないことがわかりました。


植田先生は、私のレッスンでは楽譜の読み方まで細かく全て教えることはなく
ただ「楽譜通り弾くように」仰ったのですが、
それを音楽的な意味合いとして捉えることは自分にとっては自然なことでした。

これって当たり前のことだと思っている方は沢山いらっしゃると思いますが、
残念ながら「無意味に楽譜通り弾く」人が多すぎるのが今の音楽界の現状だと思う。


これは先生の教え方の問題だけではなくて、生徒の想像力や考える力が足りないからでもあると思うんだよなぁ。


生徒が自分で考えてもわからない時に、先生に突っ込んで聞いてみて、
それで答えられない先生は勉強不足だと思うけど。


さて、
その想像力って幼少からの環境にもよるけれど、
大学に入ってからでも本を沢山読んだり自然と戯れてみたり、
全く音楽と関係ない分野に飛び込んで色んな人と交流してみたり、

そういう経験で
想像力や考える力、新しい視点は増えていくと思うんです。


なので、音楽を学ぶ皆様には色々なことを体験して欲しいし、本を読むことで色々なことを擬似体験することをおすすめします!



ピアノの練習をしまくっている努力の天才は尊敬するのですが、
感性や創造力が足りずに練習しても音楽的にはほとんど意味がないとも思う。

作曲家が書いた言葉の意味がわからずに、ただ発音の練習しているだけじゃ足りない。



「音楽と関係のないことをする」と言っても、
私のように


3日間ほぼ寝ずにファイナルファンタジー10をやって最強武器までゲットしてラスボスを完膚なきまでに叩きのめす

とか、

交響詩篇エウレカセブン(全50話)を一気に観る

とか、

3日間徹夜で麻雀打つ


…なんて極端な時間の過ごし方は絶対にオススメしませんが(笑)、


もしピアノを弾くことしかやっていないとしたら、その人は

ピアノを弾くために生まれてきた天才か、
周りの期待に答えることにプレッシャーを感じて自分の可能性を狭めている人か、
何も考えていない人か…。



ピアノは他の楽器との共演も多いので練習時間がとにかく必要ではあるのですが、
死ぬまでにやりたいことってピアノだけではないはず。

やりたいことを紙に書き出していくと100個くらいすぐ超えるので、実際に書いてみてはいかがでしょうか。

きっとピアノ以外にも自分が幸せを感じることや、やりたいことが見えてくると思います!



やりたいことをやっていく内に「この人魅力的だな」「魅力的な人生送ってるな」と思う人と出会うはずなので、
その人と繋がっていくと世界が広がります。確実に。